模擬授業「憲法って、なあに?」を受けて 模擬!?「紙上討論」 07/3/13 |
我孫子市市民フェア A 増田先生、本日、先生にお目にかかり、授業を受けることができ、誠に幸いでした。 B 良い学習の機会になりました。ありがとうございました。 C 今日の授業でわかったことは、前文の構成が3つに分けられていること、普遍性、国際協調主義を重んじていること。でも、憲法が『権力をしばるもの』『憲法尊重相互義務は公務員にある』って・・・これは、私は中学では教わってない! 増田から D 私の一番の学びは、憲法の精神が込められた前文二段落目の次の文章が、初めて理解でき、納得できたことです。「日本国民は、恒久の平和を念願し、中略、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」他の国民も私達と同じ様に平和を望んでいるんだ、だから武装はいらない。そういうように私は学びました。 E 現在、一番、憲法を守るべき国家公務員が憲法を守らず、次々に違憲の法律を作り成立させていることに憤りを感じるので、もっと、しっかり学習したいです。何か困ったことが起こらないと、憲法の大事さを認識できないのが実感され、たくさんの人が主権者としての自覚をもてるようにしたい!日本人の性格なのか、「長いものに巻かれろ」だし、異質なものを排除することが怖い。 増田から F『憲法を守る』というのは、政治家が国民に憲法を守らせようとすることではなくて、国民が政治家に憲法を守らせようとすることだなんて、日本国民は誰も知らないのでは? G日本国民は、全ての公務員に憲法を守らせる立場にあるのだ、ということを初めて知った。 H憲法が「いったい何なのか」なんて問いただすことは、ほとんどなかったけれど、増田先生の授業を受けてみると、自分の中では眠っていた潜在的に今まで習っていた言葉の本当の意味が、少し意識化されました。憲法が「最高法規」というのは習った記憶がありましたが、今、改めて授業を受けてみると、今、世の中には「憲法違反」となっていることがいかに多いか、と思いました。また、自分を含めてほとんどの人が、これに何の疑問も持たずに、毎日過ごしているんだなあ、と・・・ 前文には三つのエッセンスが込められていて、こんな素晴らしいことが、なぜ、もっと流布していかないのか疑問です。でも、最初の部分の英文「We, the Japanese people」が日本語に訳されるときに「日本国民(日本国籍を持つもの)」となって「日本人民(日本に住む全ての人々)」とならなかったのは、やはり、引っかかります。こうも、他から優位に立たなければ気がすまないのか? と・・・ また、大日本帝国憲法から日本国憲法に変わっても、人間の心の中には、まだまだ大日本帝国憲法が大部分を占めているのだなあ、とも感じさせられました(両方の憲法を並べると、構成が、ほとんど似た形式になっている、というのも納得)。いかに人間は慣れていたものから、新しいものを受け入れるのが、難しいのか、ということも感じます。あとは、マスコミの責任も関係してくるんだ、と思いました。いろいろなものがセットになって、人々の心の中を操作し、形成していくんだなあ、と・・・ 増田から そうならないためにこそ、47年教育基本法は、その前文において「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」と規定され、公立私立を問わず、教科を問わず、全ての教員は、その教育活動の全てにおいて「憲法教育=主権者教育をする」責務を持っていたのです。でも、遺憾ながら、その責務を自覚しながら教育活動を行ってきた教員は、そう多くはない事実がある、とも私は思っています。 I私自身、憲法も、これから書きますことも完全に消化していないのですけれど、「日本国憲法第9条を世界遺産にする」という考えを、とても良いと思います。憲法と少し離れるかもしれませんが、子どもを育てるということ、学校でも自然の摂理に従って育てることが大切なことと思います。教育は公立は無く(ママ)、宗教教育が基本であるべき、と思います。生まれてから死ぬまで、人間とはどういうものかを学び、「野獣」の人から、「神」の人に変わっていく、そのことが平和につながると思います。どう思われますか? 憲法を変える動きがありますが、戦争放棄は絶対に変えてはいけないと思います。日本を世界の中で、本当に戦争をしない国にしたいです。福祉国家を望みます。 増田から 私は無宗教ですが・・・実家が浄土真宗でしたので、真宗に親近感があります。特に親鸞聖人の「王を拝まず」に共感しています・・・深い信仰者の、謙虚さ、無私の社会奉仕、他者のために己の命を投げ出すことも実行できること(アウシュビッツのコルベ神父など)に対して、心からの敬意を覚えますが、公立学校では、三大宗教(仏教、キリスト教、イスラム教)の基礎知識(創始者や、その教義の中心)を教えながら、異なる宗教(無宗教も含め)に対する寛容さを教えることが大切だと考えます。 「人間とはどういうものかを学び」ということは、とても重要で、お考えに賛成です。憲法及び47年教育基本法に則って、歴史と社会の真実を、きちんと教師が教え切れれば、それを、生徒たちは、おのずと学んでいき、『「神」の人』までは至らなくとも、『「野獣」の人』段階を脱することはでき、『平和を作り出していける人』になる努力をできるようになる、と私は、これまでの教え子たちのことを考えると、かなりの自信があります。 J憲法の本質が、よくわかりました。前文を三段に分けて、それぞれのテーマを抜き出すことで、前文がくっきりと立ち上がってくるように感じました。日本国憲法前文って、素敵だな! 前文を暗誦するのも楽しそう。松元ヒロみたいに、思いを込めて朗誦できるようになってみよう! 私は、お話(昔話等)を覚えて語ることがあるので、つくづく感じていることですが、覚えることにより、文の読みが格段に深まっていきます。 前文を暗誦する、というのは素晴らしい主権者教育だと思います。たった1時間の授業を通じても、増田先生が主権者を育てようとしてきた、ということが、よく理解できました。主権者の自覚を持つことは、自信にもつながるし、学びへの意欲にもつながるし、すごく大切なことだと思います。でも、私たちも十分な主権者教育を受けてはこなかったのです。それが私たちの弱さになっていると思いました。そして憲法を愛する主権者を育てようとしたからこそ、増田先生がクビにされた、ということも、よくよく納得できました。 午前中の映画上映会(戦地出張)の中で、石破防衛庁長官が「基本的人権は大事だけれども、国が保障しているからこそ、人権・自由を享受できるんだから、その国が危機にあるときには人権が制限されることもやむをえない」と言っていました。「保障する?」「国が?」すごく、ムッとして、いやな感じ! この嘘をあばけるよう、勉強したいです。 K「the Japanese people」というときに、「日本にいる全ての人々」というのでは、範囲が大きくなりすぎてしまうと思う。「the
people in this country」でない以上、国籍を持つか、取得しようとしている人ではないだろうか。 批判する力を養う、ということは、お上(国、場合によっては天皇)に向けてする勇気がいる行為となるのが、日本では未だに改められないのがおかしい。人権を主張できない、主張することは罪のように思い込まされる教育は、おかしい。 増田から 確かに「the people」の訳には「国民」と「人民」があります。でも、Eさんのところで触れましたが、前文の第1段落にある「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理」の英文部分は「Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. This is a universal principle of mankind」で、リンカーンの『人民の、人民による、人民のための政治=Government of the people, by the the people, for the people』を謳ったものといわれています。リンカーンの民主主義の定義の「the people」は「その国の国籍を持つものだけ」ではないのではないかと思うんですが。でも、もちろん、あなたのおっしゃるような理解が、「日本国憲法」の前提になっているのは事実です。 それから、『前文での最後の表記について、「国民は憲法を守る義務はない」』ですが、憲法尊重擁護義務が明記されているのは第99条です。前文ではありません。そして、「国民は憲法を守る義務はない」のです。これが日本国憲法の規定です。国民は主権者として「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定」し、第99条に規定された『天皇以下全ての公務員』を名宛人とし、この憲法を与え、『尊重擁護義務』を課したのです。したがって、国民は彼らに憲法を守らせる義務を持つ! のです。 しかし、もちろん、この前提は「事実」を欠落させた「フィクション」でした。当時の日本国民の大部分は、自由民権運動の中からさまざまな憲法案が作り出された明治初期時代と違い、天皇制政府の己が延命だけを第一にした政治の中で食うや食わずの生活ですから、広範な国民の手で憲法案を作り出す余裕がありませんでした。マッカーサーは、この『崇高な理想』を掲げた憲法案を、「昭和天皇を戦犯裁判にかけよ」と要求するだろう国が入っている極東委員会が動き出す前に、急いで日本政府に強要して決定し『天皇制を守ることとバーターで、天皇及び日本政府に日本統治に協力させて、名を上げ、大統領選に打って出る』という野望の一助にしたのが事実です。 でも、その憲法案の出自がいかであろうと、その後の、全国民(旧植民地出身者は除かれました・・・暴力で「日本臣民」にしておきながら、その意思も問わず、今度も一方的に「もう、お前たちは日本国民ではない」と)から選出された国会議員の審議の末に決定されたのですから、『国民が、この憲法を確定』したといえると思います。でも、本当の主権者教育はなされたことがないのですから、47年教育基本法で、『教育の力』によって、この憲法の崇高な理想を実現するに足る主権者を育てることが期待されたわけですが・・・ L紙上討論の具体的なやり方等も教えていただけたら幸いです。それから、僕は、社会科の教員志望なので、ぜひ、指導案をいただきたいです。微力ながら増田先生を応援しています。 増田から みんなで読みあったあと、私が「『みんなの意見を読んで』として、まとめて自分の意見を書いてもいいし、例えば、『Dの人の意見に賛成』とか『Dの人の意見に反対。私は高市大臣に賛成する』とか、『Iの人に賛成』とか『反対』とか、基本的人権の学習を踏まえて、自由に意見を書いてください。」と言って、また意見・感想を紙に書いてもらいます。そして、それは「紙上討論2」としてまとめておき、『憲法と民主政治』の29時間の学習が終わったときに行うわけで、これを最低で1年間、持ち上がれば2年間、3年間やるのです。 ◎憲法と民主政治 29時間(国民主権・基本的人権・平和主義、民主政治のしくみ) <ねらい>
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