増田の『模擬授業』 07/3/8
 3月3日に私が住んでいます我孫子市の市民活動フェアーの一環として模擬授業をさせていただきました。その詳細な感想をいただきました。長文で、また、ちょっと褒められすぎの感があり、面映いのですが、ご紹介します!

◎3月3日の我孫子市民活動フェアにおける増田都子先生の模擬授業「憲法って、なあに?」は素晴らしかったです。1時間授業で憲法の本質を鮮明に伝えきる力量に加えて、しみじみ感心させられることがありました。

<その1 元気が出てくる主権者教育>

 授業を通して、私たちは国のあり方を主体的能動的に決めていくことができる主権者なのだ、と改めて実感しました。主権者なんておだてられても、世の中のことはみんな、どこか知らないところで勝手に決められて、わけもわからず流れに呑まれて四苦八苦。現代に生きる私たちの心の底には、深刻な無力感が巣くっています。そんな自分にも、そうか本当はそんな力があったんだ! と、増田先生の授業で元気がわいてくる思いです。

 「真理と正義を愛する主権者の育成をめざし…」とは今回のお誘いチラシの一節ですが、増田先生はあらゆる機会をとらえて、主権者たるにふさわしい考える力を生徒に対して求め鍛えてこられたのではないでしょうか。一方で未来の主権者としての誇りと責任感が、生徒の学びをどれほど励ましたことでしょう。子どもたちの学習離れや目的喪失、自信喪失等の状況も、主権者の自覚を促すことで改善する面もあるのでは…? とふと感じました。

<その2 絶妙の仕掛け 憲法前文の暗唱>

 その主権者教育の仕掛けのひとつが、憲法前文を暗記する宿題です。期限は定めず、覚えられたら増田先生をつかまえて暗唱してみせればそれで合格。私もやってみたのですが、その副次的効果のほどにほとほと驚いてしまいました。
 まず漫然と読んでいたのでは覚えられないから、文章の構成を意識して、おのずと深く読み込むことになります。ただ繰り返し読むのは苦痛でも、覚えるために読めば読むほど、こんなことが書いてあったのか感心することしきり。単純な話、前文の文章は主語と述語がかけ離れていたり、述語がいくつも並列したりしていますが、日本国民は→この憲法を確定する。決意した。誓ふ。

 われらは→排除する。思ふ。確認する。信ずる。という主な主述関係を確認するだけでも、この憲法は国民が作って国に与えた命令なのだということがしみじみ腑に落ちるというわけです。そして文章に込められた思い、理想を見つめ凛と背筋を伸ばした真摯な姿勢に、眩しいような感動を覚えます。自分たちははるかに堕落してきたものだなあ…とも。

 これまで前文それ自体に向き合うことを億劫がっていた私ですが、あまたの解説書を読むにも増して、前文を暗唱する効果があるように感じました。繰り返し繰り返し暗唱するうちに血肉と化して、さらに深まっていくものもあることでしょう。そうやって前文の精神が私たちの中にきっちりと入れば、これは確実な力となるに違いありません。この絶妙の仕掛けを、皆さまもぜひ活用してみてはいかが?

<その3 双方向型授業>

 今回の模擬授業はワークシートに記入する形でした。授業の翌日増田先生からの電話で、参加者が書いた感想をとても楽しみしていると聞いたとき、私はちょっとハッとするような気持ちになりましたそこまで1回1回のフィードバックを大切にされるのだな、例え模擬授業であっても語りっぱなし与えっぱなしの授業を決してよしとはされないのだな、と。
 双方向型授業の究極が、増田先生独自の紙上討論ではなかったのでしょうか。紙上討論はもちろん主権者教育の重要な仕掛けでもあったと思います。

 ざっと以上が私の個人的な感想ですが、素晴らしい授業だったというのは参加者共通の思い。そんな増田先生がなぜ免職されなければならなかったか。

 直接のきっかけは紙上討論の一文ですが、もっともっと本当の理由は、増田先生が主権者の育成を明確に意識して授業をしてきたからです。国民の信託を受けて権力を預かったはずの権力者が、国民が真の主権者であることを毛嫌いしているからです。ぶっちゃけ、おばかさんの方が統治しやすいということね。これは今に始まったことではなくて、新憲法成立時点から今日に延々と続く統治方針?なのです。

 つまり増田先生は戦後60年を貫く国家の本音に楯突いたので、権力をあげての苛めにさらされたというわけですね。(ここに来て権力の我慢が悪くなった、傲慢が募ってきたということはあると思います)こんなことまでが、なぜかありありと見えてきてしまう今回の模擬授業ではありました。

 増田先生への弾圧を黙殺し、イラク戦争の真実を決して伝えず、政府の尻馬に悪乗りするだけの報道に憤慨絶望して大手マスコミを退職した気骨のジャーナリストが、模擬授業を撮影取材していました。

 彼いわく、今やマスコミは権力のチェック機関ではなく、完璧なまでに権力の補完勢力であると。あわよくば主権者であることに気づいてさえほしくない権力と、気づく間も考える間もあらばこそとばかりに、がらくた情報を湯水のように垂れ流すマスコミと…なるほど好一対とはこのことだなあと、つくづく納得。

 最後に主催者が、増田先生による近現代史講座の開設を予告してお開きとなりました。私たちにおける近現代史の空白も主権者意識の欠如も、もしかして意図的につくられたものだったのでは…? 今からでもその空白を埋めようと一念発起される方は、どうぞご期待ください。詳細が決まり次第改めてご案内をさしあげます。

 増田先生、どうもありがとうございました。近現代史講座もどうぞよろしくお願いします。