■社会新報に増田インタビュー記事(11月29日)
 今週の社会新報(11月29日号)が15面に、ジャーナリストの林克明さんによる私へのインタビュー記事を大きく載せてくれましたので、長いですけど、以下、ご紹介します!


 教育の主体を子どもから国家権力に逆転させる教育基本法改悪案が、16日衆院本会議で野党欠席のまま採決された。全国に先立って国家主義的教育を進める東京都の中で、抵抗する女性がいる。社会科授業の「紙上討論」で配布したプリント内容を理由に今年3月に分限免職処分を受けた元九段中学校教諭・増田都子さんだ。増田さんは9月、処分取り消しを求めて東京地裁提訴した。

憲法順守する教師をなぜ処分
都教委の教育への介入を問う

――9月15日、分限免職処分の取り消しを求めて東京地裁に提訴しましたね。何があったのですか。

●増田都子さん
 私は昔から社会科の授業として「紙上討論」を行なってきました。授業でテレビ番組のビデオを見せたり、学習の主要テーマに対して、生徒が感想や考えを文章で書き、さらに紙上で討論を進めるものです。
 私はディベートには反対なのです。声の大きい生徒が勝ってしまう。じっくりと考えて社会や歴史問題を自分の考えや感想を文章で表現する訓練が大切なのだと思います。
 
 最初は2〜3行くらいしか書けない子もいました。ところが、授業を繰り返すうちに、B4判ぎっしり自分の考えを文章でまとめられるまでに成長していったのです。

 生徒のなかには、私が授業で話した内容に反対する者もいますが、そういう意見もプリントにしてすべて公正に扱っていました。

――この授業内容だと生徒の成長や学力向上も期待できそうですが、なぜ問題だとされたのですか。

●増田都子さん
 2004年3月1日にノ・ムヒョン韓国大統領が演説しました。植民地支配など歴史問題で日本に反省を迫ると同時に、日韓が東北アジアの未来を開く共同運命体である、という内容でした。
 この演説を題材に05年6月から7月にかけて千代田区立九段中学で紙上討論をしたのです。私は私の「ノ・ムヒョン大統領への手紙」を教材プリントに載せました。
 
 内容は、04年10月の都議会文教委員会で古賀俊昭都議(自民)が「侵略戦争うんぬんというのは全くあたらない。じゃ、日本は一体どこを(中略)、いつ侵略したのかということを具体的に一度聞いてみたい」と発言したことを批判しました。また、歴史を偽造した扶桑社の歴史教科書を都教委が賞賛していることも問題にした文言でした。
 
 都教委は都議と扶桑社を誹謗中傷したとして同年8月30日に私を戒告処分にし、“収容所”(都教職員研修センター)に入れました。
 そこでは、職員の監視の中でレポートを書かされたり、トイレに行った時間も記録されるような状態でした。これに抗議したら「不適切な態度」となり、研修中も反省が見られなかったとして今年3月に分限免職にされたのです。

―― 処分の理由にはしていないものの、都教委は紙上討論が気に入らないのですね。

●増田都子さん
 実は、問題の発端は1997年までさかのぼります。この年の4月に転任した足立区立第16中学でも紙上討論を続けました。6月の授業参観日、沖縄の問題を扱ったNHKの番組『沖縄の米軍基地―普天間第二小の場合』を見せて話をしました。生徒が感想を書き、それぞれの意見の重要な部分にアンダーラインを引かせる授業にしたのです。

 クラスには、アメリカ人の父をもつ生徒がいました。ある日、校長から「保護者らしい人から教育委員会にファックスがあったそうだ。先生の授業のプリントも送られ、『アメリカ国籍をもつ娘がかわいそうだ』ということらしい。匿名だけど娘がアメリカ国籍というからラインズ和子さん(仮名)でしょうね と、このようなことを言われたのです。

 そこでその女子生徒に、「アメリカ軍の批判が多くて、つらかったんですって? ごめんなさいね。でも、みんな「アメリカ軍が悪い」って書いていたって「アメリカ人、みんな悪い」なんて思わないと思うの。もしつらかったら紙上討論にそのこと書いてみて。みんな「あなたが悪いなんて思わない」って、きっと書いてくれると思うの」と伝えたのです。当の生徒はキョトンとしていたので、おそらく本人はこのとき何も知らなかったのだと思います。へんだな、別の親がファックスを送ったのかな、とも私は思いました。

 それで母親の和子さんに「社会科の授業のことで教育委員会に電話なさいましたか」と電話してみました。すると彼女は認め、「なんですか、あの反米偏向教育は。教育委員会でも、クビにしたいがなかなかそうもいかなくて困っている、と言っていましたよ」といわれました。最初からすごいケンカ腰でした。

 そんなころ、男子生徒3〜4人が私のところにやってきて、「先生、あの電話連絡網なに?」「『社会科の授業のこと』って電話が回ってたよ」と言うではありませんか。そこで、紙上討論でこのことを書きました。親の一人が教育委員会に電話したようです、と前置きして、事実をきちんと教えることの大切さや、先生(公務員)には憲法や教育基本法の遵守義務があることを伝え、「日本国憲法主義者である私を『偏っている』というのは、日本国憲法を『偏っている』という人です。」と書きましたし、「親の思想が、憲法に忠実な教師の思想と違うからといって教育に介入するのは、あまりにもアサハカな思いあがりというべきです」と。

 後に、このプリント内容が名誉毀損だとしてラインズ和子さんは私を訴えました(請求棄却)。しかし、「ある親が」としているだけで、もちろん特定してはいないのです。ところが、校長や教頭などは個人の誹謗中傷だと言うのです。人物は特定していないし、なんでだろうと私は不思議に思いました。

 実は、後に裁判のなかで次々と事実が明るみに出て謎が解けました。PTA会長が連絡網をつかって、私の社会科授業を問題だとし、校長とも話し合いをしていました。また教育委員会とも連携していました。 
 ラインズ和子さんが私を訴えようと弁護士が校長に面会したときに「どんどん裁判をやってください。全面協力します」というような内容のメモが残っていたのです。
 
 つまり、ラインズさん、校長と教頭、PTA会長、区教育委員会が連携して、事を進めていたのです。一連の流れを知らないのは私だけでした。ですから、親を特定しないで私はプリントを書きましたが、周囲の人たちは知っていた。それを知っていたら、私はもっと配慮していますよ。

――この件に関して、土屋敬之都議会議員(民主)、産経新聞が偏向教育キャンペーンを始めました。「新しい教科書をつくる会」が結成された頃ですよね。

●増田都子さん
 土屋都議に加え、古賀俊昭都議(自民)、田代ひろし都議(自民)、産経新聞の意向を受けた都教委は、減給処分を2度押し付けてきました。
 その間の97年7月には、北千住の繁華街で、土屋敬之都議が私を名指しで誹謗中傷する街頭演説まで行なったのです。これに対しては名誉毀損で訴えて一部勝訴しました。 

―― 99年9月には東京都教職員研修センターに入れられましたわけですね。

●増田都子さん
 はい。 “強制収容所”から出されて現場復帰(区立九段中学)したのは、02年4月のことです。ここで、先の「ノ・ムヒョン大統領への手紙」を教材にして、ついに分限免職にされてしまいました。
 事実をもとに生徒が自分の考えを書いて紙上討論するのがなぜいけないのですか。この授業によって生徒が成長していくのですよ。
 昔から「真理は権力の敵」といいます。何よりも、「先生は悪くない」という何通もの教え子からの手紙を支えに頑張っていきたいと思います。