■韓国民主労総全国大会参加の旅(11月10日〜13日)

 10日(金)から昨日13日(月)まで、韓国民主労総全国大会に、全労協からの連帯訪韓団に参加させてもらって、ソウルに行ってきました。それは、とても素晴らしい(失敗も!?)体験をしましたので、以下、添付写真とともにご報告します。何しろ4日ぶんです! ので、お時間のありますときに見ていただければ嬉しいです。


(1)10日、11日
西出門刑務所内
 10日は午後の出発ですので、ソウルのホテルに着くと夜となり、全労協の訪韓団10名の自己紹介をしながら美味しい焼肉(分厚い豚の三枚肉を豪快に焼き、ハサミでチョキチョキ切る)を食べました! 最後の冷麺も、本当に美味しかったです。チャーハンを注文した人が「美味しいから食べてみませんか」と言うので、お皿に分けてもらって一口食べて、飛び上がりそうになりました!? 辛すぎ・・・騙された!? 11日(土)は、お昼に民主労総本部を表敬訪問するまで時間があるので、日本統治時代に独立運動をして捕らえられた人々を拷問したり死刑にしたりした西大門刑務所に行きました。今は、独立公園という広い公園の中にあります。日本の12月と同じくらいの気候で、キルティングのコートと手袋をしてちょうどいいくらですから、黄葉は日本より進んでおり、公園の木々の黄葉が綺麗でした。

 先ず、高い塀の門をくぐります。今は中は博物館のようになっていて、朝鮮総督府が、朝鮮全土に置いた刑務所の地図がありました。どんなに弾圧しても独立運動家が多く、刑務所が足りないくらいで、結局一坪に6人(もっと多かったかも・・・ちょっと記憶があやふや)詰め込んだ計算になるとか・・・当時の拷問道具やら、当時の裁判の判決文とか・・・「死刑の家」の前の「慟哭のポプラ」と名づけられたポプラの木には言葉がちょっと出ません。

 柳寛順が殺されたのは、ここだったんですね・・・「柳寛順窟」・・・ただただ「申し訳ない」というほかはありません。ハンセン病患者の棟も見ましたが写真は撮りませんでした。なぜなら、前に見た監獄の独房と全く同じだったからです。「病気」がそれだけで「重罪」・・・
西大門刑務所門 地下刑務所の説明書き
刑場前の「慟哭のポプラ」 死刑執行の家 死刑場

 お昼近く、全労協事務局長で団長の中岡さんに連れられて民主労総本部を訪問。写真の民主労総委員長と、組織委員会委員長、国際部長さんがニコヤカに応対してくださいました。このお三方とはすでに何回も会ってらっしゃるらしい中岡団長が挨拶をし、訪韓団全員が簡単に自己紹介しました。私については、中岡団長からハンギョレ新聞記事、生徒たちと私のノ大統領宛手紙のハングル訳、釜山市民団体の方が作成してくださったハングルの解雇撤回署名を、組織委員長に渡してくれました。すると、お三方が、いっせいに私に注目して「あっ、あっ、ああ・・・」と声を上げられました。そのあと、言葉は分かりませんでしたが、たぶん「あなたが、あの増田さんですか」とおっしゃっていたような・・・団長が「どうしても、お願いしたいことがあったら」と促してくれましたので「ぜひ、解雇撤回署名にご協力をお願いします!」と要請しました。

 お昼の食事は、この3人の方たちと民主労総本部の地下レストランで韓国風お寿司!? をご馳走になりました。美味しかったです。組織委員長さんは私に「ミヤコさんは、韓国でも『良心ある日本の教師』として有名です」とおっしゃってくださったので、感動! でした。

 この日の民主労総大会前夜祭は夜の6時からなので、その前に、安重根記念館に行くことに・・・南山(ナムサン)のふもとの大きな図書館の裏手にありました。いろいろな記念品がありましたが、有名な書の立派さと内容の立派さには、やっぱり、打たれるものがあります。でも、意外と小柄な人だったんだな・・・と、その左手薬指の先の欠けた手形から感じました。柳寛順もそうですけど、こんな有能な人を若くして殺してしまって・・・でも、日本帝国主義時代は、同じ日本人も、大杉栄とか伊藤野枝とか、そのやり方に反対する人は誰でも同じような目に合わされていたのです。こんな時代には絶対に戻りたくない・・・

安重根記念館 安重根の書
 さて、夜がきました。コート・手袋はもちろん、ホッカイロ&レッグ・ウォーマーと防寒対策をしっかりとして、ヨイド公園の文化広場というところに出かけました。すごい人と屋台・・・メーデーを夜行った、という感じでしょうか。通訳をしてくださった方に「何人くらい、いますか」と聞きましたら「数えられない」という返事・・・6・7千人はいるでしょう。まず、屋台で焼酎と暖かい雑炊で体を暖め、いざ! オープニングは、写真のすっごい合唱団!?というか、「この方たちプロですか」と思わず通訳の方に聞いてしまったくらい、男性も女性も、まるで、そのままミュージカルに出演できそうな大音量の歌と軽快な振り付けダンス!

 それから、世界各地からの連帯のビデオ映像が大スクリ−ンに流されたあと、日本やフィリピンなど外国の連帯訪韓団の紹介。私たちも全員が舞台に上げてもらえました。全労協・中岡事務局長が日本の労働組合を代表して挨拶。大きな広い会場を満杯にした人々からの拍手は、本当に壮観でした! あとは、フィリピンのKMU(だったと思う・・・中岡団長によればフィリピンでも最左派の労働組合で暗殺されている人も多い、とか)の若い女性委員長が挨拶。小柄ですが、瞳がキラキラ光っているような可愛い元気な方で「We continue to fight against American imperialism.」という単語が何回も出てきたことが印象的でした(ヒアリングにも自信は無いんですけど)

民主労総大会前夜祭 前夜祭に参加
 それからは、コントあり、ミュージカルあり、普通の!? アピールあり、言葉は分かりませんが、盛り上がる一方・・・しかし、防寒対策は万全と思ってましたが、ソウルの夜はシンシンと冷えて・・・われわれ軟弱な!? 日本の労働者は10時に撤収。しかし、韓国の方々は、これからさらに盛り上がり(たぶん)、終わりは11時で、屋台は2時3時まで、続き、地方からバスで来られた方たちはテントで寝て、12日の大会に備える!? そうです。


(2)12日
大会開始前の会場にて
 さて、いよいよ本番の12日。日本では教育基本法改悪反対集会が行われるのと同時刻ころ(こちらは3時から)のソウル市庁舎前のひろーい、ひろーい道路を封鎖(というか届け出ても許可されるわけないので「実力で」とか)して行われるのが民主労総全国大会です。それまで、間がありますので、午前中、みんなはホテル近くの景福宮へ。でも、私は、前に行ったので、持病!? の肩こりをマッサージしてもらおうと、みんなには「私一人で探して、12時に集合場所のインサドン隣のタプコル公園(これもホテル近く)に行きます」と大見栄をきってしまいました。ソウルの「足裏マッサージ」とか「エステ」とか有名だから、少し探せばあるだろう、なんて思ったのでした。

 しかし、しかし、甘かったのでした。インサドンは観光客も多いから疲れた人相手にあるだろうと思っていたのに、全然なかったのでした。結局、ホテルに戻って、ホテルに案内のあった、日本人観光客相手の店(すなわち、日本と変わりはないような高料金!?)に電話して迎えに来てもらったのでした。で、「肩こりだけひどいので肩だけ」と言ったんですけど、「足裏マッサージが基本で、プラスオプションで肩こりマッサージ」ということに。

 スクリーンの隣で日本人男性が集団で来て、やってもらってましたが「くすぐったいよー」とか、嬌声!? をあげたりして、そのあげく「クウォー、クウォー」とイビキをかいてました。でも、料金は高かったですけど、おかげで、かなり、楽になりました。そしてタクシーで、タプコル公園へ。みんなに「どうでしたか、一人で見つけられましたか」と口々に言われ・・・「実は・・・」と告白する羽目に・・・笑ってましたよねー、皆さん・・・

 それから、みんなで団長お勧めのインサドンのお店でアサリうどんの昼食。とっても美味しかったです! それから、買い物。青磁のとっても可愛いふくろうの香炉を見つけたので、ちょっと高かったのですが買ってしまいました。香なんて焚く趣味はありませんから、置物として・・・ついでに、青磁のしょうゆさしも。これも飾っておきます!
いよいよ民主労総大会に参加
 さて、いよいよ、最大の目的の民主労総大会です。行く前に見かけた物々しい警官隊の写真も添付してあります。聞くところによると、この方たちは「戦闘警察」といって、普通に採用された警官ではなく、徴兵制された若者たちが配置される一分野なんだそうです。どうりで、高校生のような童顔の人もいました。

 市庁舎前は、人、人、人・・・旗、旗、旗、後で聞いたら2万5千人!・・・印象的だったのは、全泰壱(チョン・テイル)さんのお母さんの挨拶があったこと。全泰壱さんという方は、1970年に、労働法を施行しない朴正煕(パク・チョンヒ)政権に反対し、22歳で抗議の焼身自殺を遂げた青年労働者です。この方の壮絶な死を無駄にすまい! と民主労総は結成され、今、公務員組合も参加して韓国最大の労組になったということです。

 委員長の挨拶にも現れていますが、『韓国最大労組』になった、といっても、どこかの国の労働貴族といわれるような幹部の方々と全く違い、幹部の方たちは、あくまでも戦闘的で、かつ、誰に対しても気さくです。民主労総はこの日「盧武鉉政権退陣と9.11野合5敵(といわれても、これは、よく分からないのですが)の退陣」を強く要求し、明日15日からのゼネスト宣言! をしました。日本でも、教育基本法改悪は憲法改悪の内堀を埋めるようなものですから、『ゼネスト』まで行かなくても、せめて『時限スト』くらい教職員組合はやるべきではないか! 『教え子を戦場に送らない』と本気で言うなら・・・と思うんですけど・・・
右から民主労総委員長、組織員会委員長、国際部長 チョンテイルさんのお母さん
 「今日は時間がない」ということなので、委員長など幹部の方々と中岡団長が舞台の上に上がり、紹介だけされました。2万5千人の拍手はすごい迫力! 大会の方は、本当に熱気あふれるものでした。これも、歌あり、踊りあり、コントみたいな一人芝居みたいなものあり、笑いもあり・・・たくさんのビラももらいましたが、私たちには何しろハングルで全然分かりません。でも、この大会は、韓国全土の労働者が集まって団結を確認し、ゼネストへの突入の心構えをつくる! もの、だったようです。ちょっと、日本の労働組合も見習うべきでは・・・日本のメーデーは、なんだか、形式的だけになっているような気もしますし・・・

 終わって、他の日本から来ている市民団体の方たちとも一緒に、夕食会。なんと、民主労総の副委員長と統一部長さんも見えていました。そこで、また自己紹介。私が「扶桑社教科書を批判して極右の石原氏太郎都知事が支配する東京都教育委員会に解雇され、解雇撤回闘争をしています。ぜひ、解雇撤回署名にご協力を」と言いましたら、長野から来ている方が「えーっ!? それで免職?」と言われました。韓国では知られているのに!? 日本では知られていない・・・しかたがないですね。メディアが報じないんですから・・・終わって、解散するとき、民主労総の統一部長さんが、ご自分がなさっていたハングル文字を書いたハチマキ(ハングルを勉強中の友人に訳してもらわなくっちゃ!)を私にくださいました!


(3)13日
ソウルタワー

 そして、13日(月)、韓国最後の日。飛行機の出発は、午後5時10分ですから、午前中は自由行動、ということに。私は、一度ソウル・タワーに上ってソウルの町を一望してみたい、と思っていたので、団長さんに相談すると・・・結局、その希望者は私一人。それでバスでの行き方は難しいので、タクシーで行ってください、ということに。でも、特に不安もなく、タクシーに乗りました。言葉は通じませんけど、親切そうな運転手さんでした。

 南山は、とても黄葉が綺麗で、ところどころ、紅葉が見事でハイキングの人も多いようです。登り口に検問所があり、運転手さんが「イルボン」と言ったのが聞こえました。そしたら検問の人が「パスポート」を見せるように言ったらしいので、運転手さんに促されて出しました。でも、??? でした。ソウル・タワーに登るのにパス・ポートが必要???

 かなり上ったところで傍らの小道を見ると、なんと! 雉が! 一羽、尾っぽをピンと伸ばして私のほうをハッキリ見つめて(にらんで!?)いるではありませんか。「あっ! キジ!」と私が言ったら、同時に運転手さんが「コン!」と言われました。韓国語ではそういうんですね。カメラを構えてなかったのが残念。でも、私の網膜にはハッキリと焼き付けられました!

 さて、運転手さんに言われて降りました。タワーの前まで行けるのかと思ってましたが、残り300メートルの登りは歩かなくっちゃいけないみたいです。タクシーは、「ブブーッ」と警笛の挨拶をして立ち去りました。いよいよ一人でタワーへ。何でも350何メートルとかで東京タワーより、高いようです。最上階は期待してた通り! 写真ではあんまり分からないでしょうが、素晴らしい眺め! ちょっと、曇っていたので、遠くは霞んでいましたけど、それでも風情が・・・晴れた日の夕焼け時は、もっと、もっと、素晴らしそう! 夕焼け時に上って、そのまま夜景を眺めたら素敵でしょう。絶対、おススメ!

 ということで、大いに満足して、タクシーで降りた所まで下りました。タクシーはどこ?・・・??? 一台もいません。不安が・・・しばらく待ってみましたが、一台も来ません。真っ青状態に!? これじゃ「安宅の関」の二の舞だよー!?・・・7月に親孝行旅行で両親を金沢に連れて行った帰り、小松空港で時間があったので、タクシーで10分くらいの安宅関に行ったら、有名だからタクシーは何台も待っているだろうと思い込んでいたのに、全く来ず、冷や汗をかきました。結局、お守りを買った安宅神社の女性神主さんに泣き付いてタクシーを呼んでもらい事なきを得ました・・・しかし、ここは言葉が通じない外国・・・

 泣きたい気持ち・・・バスが3台止まっていて、最初の2台の運転手さんにホテルの地図と名前入りのカードを見せましたが、クビを横に振られるばかり・・・でも、でも、3台目のバスの運転手さんが救いの神! 言葉が分からないながら、私が必死(ホント、必死でした!?)で「タクシー、タクシー」と繰り返すので、ホテルのカードを見つめながら、「タクシー、乗換え」とジェスチャー入りで、料金箱に550ウォン(市内一律約60円、安い!)入れるように言われました。もちろん、直ぐ入れました。やがて出発。

 昨日来た南山ふもとの安重根記念館のところまで降りたら、タクシーが客待ちしていました。ホッとしてバスを降りましたが、タクシーの運転手さんはお昼寝中。するとバスの運転手さんがわざわざ降りてきて、運転席の窓をたたいてタクシーの運転手さんを起こし、私のホテルのカードを見せて「ホテルまで送ってあげてくれ」と韓国語で言ってくださったのです。神様、仏様! です、本当に。「カムサハムニダ! カムサハムニダ! カムサハムニダ!」私の知っている二つの(あとは「アンニョンハセヨ」だけ!?)韓国語の一つを心から発しました。本当にありがとうございました!

 というわけで、すごいアバンチュール!? してしましました(ソウル・タワーに行かれる際はご用心を)が、12時の集合時間なのに、11時15分にはホテルに着きました。今度は、余裕、余裕! となったので、ホテル近くの店で、ついつい衝動買い(ウサギの毛皮のボンボン・マフラーが日本円で千円だったので)してしまいました。そして、ホテルには、11時45分に一番乗りで! みんなを待ちました。中には、全泰壱さんの銅像のある平和市場に行った方もいらっしゃいました。ここは、この次の機会に行かせていただきましょう!

 ああ、やれやれ・・・なんとも充実した! 素晴らしい「韓国民主労総大会参加の全労協ソウルの旅」でした。これで、報告、終わり!