横須賀軍港フィールドワーク他の報告
ホテル19Fから見た自衛隊艦船 横須賀米軍基地三笠ゲート 自衛隊艦船 自衛隊潜水艦(錆びている。現役?)
戦艦三笠(手前の銅像は東郷平八郎?) 米イージス艦と手前はパトロール船 米軍横須賀基地正門ゲート

 14・15日は横須賀で、11月1日の東京全労協大会に備えての方針討議の合宿がありました。討議に先立ち、14日の午後は、ヨコスカ平和船団の方に案内していただいて、船に乗り、海上から「横須賀軍港フィールドワーク」をしました。所要時間は約1時間。「これは酔い止め薬は必須!」とみて乗船前に服用していて正解! 小笠原には台風がきているとかで、風が強く、船はかなりの揺れ・・・以前、全くベタ>凪だったのに稲取から伊豆大島まで行くのに酔ってしまったんですけど、今度は大丈>夫! 

 では、ご案内しますので、添付ファイルをご覧ください。まず、ホテル前から歩いて米軍基地正面ゲートを過ぎ、三笠公園へ。その脇にも基地の三笠ゲート。なぜ、「三笠公園というのか?」というと、写真をご覧ください。OH!? 日露戦争のときの戦艦・三笠が!? 大日本帝国海軍旗がヘンポンと翻って・・・銅像は、たぶん、東郷平八郎だと思いますが、近寄って確認する気にはならず・・・「つくる会」の輝かしい栄光の日本史!? がここに・・・

 さて、船出して、しばらくは、「あちらは居住地区で、思いやり予算で立てられた住宅です。普通の県営住宅の3DKの2倍の広さで、タダ、光熱費もタダです。スーパーなども安いので、普通の4人家族で一ヶ月4万円もあれば暮らせるそうです。広い野球場もにほんの思いやり予算です。幼稚園から大学まであります。でも全部で家族も含め2万5千人いますので、基地内だけでは住居が足りず、池子に住宅が必要になったりするんです」という説明。

 それから、米軍の艦船がいる、いる、ズラーッと・・・いろいろとご説明いただき、駆逐艦や巡洋艦の見分け方を教えていただいたのですが、なかなか頭には入りません。でも、一つ、本当に心に刻まれたのは、ここ、日本の横須賀から出ていった巡洋艦・駆逐艦からイラク攻撃開戦時にトマホークが撃ち込まれたということ・・・70発!? 湾岸戦争の最初の一撃を発射した、とも・・・平和憲法を持つ、この国の、この現実・・・

 そして、米軍艦船と、ちょっと離れているだけで、すぐ自衛隊の艦船が・・・旧日本海軍と全く同じ海軍旗を翻しているんですねぇ・・・

 一生懸命写真をとっている脇で米海軍のパトロール船が走っています。「よく、普通の船で、こんなに米軍や自衛隊の艦船のそばまで近寄れるものだわ」と思っていたら、いただいたパンフに説明がありました。「ヨコスカ平和船団は、その行動の多くは提供水域、つまり海の基地の中。陸上の基地に米軍の許可なく入れば、すぐに叩き出されるのに、海の基地から市民が排除されないのはなぜか。その秘密が、港湾の管理を自治体の手にゆだねた『港湾法』の存在だ。侵略戦争の反省から、国家が管理していた港湾を自治体が管理するために、1950年『港湾法』が生まれた。戦後の民主改革の一つ」

 なるほど・・・憲法が改悪されてしまうと、こういう法律も全てが軍事優先になっていくでしょうから、とにかく、なんとしても改憲は阻止しないと・・・

 さて、海上から陸地に戻り、レクチャー・・・睡魔との闘いに、ついつい負けそうに・・・でも、翌日15日の朝の方針討議は、グッスリ寝た後でしたから、しっかり参加。いろいろ議論が出て面白かったです。私は教育基本法改悪問題で、『平和教育・民主教育の破壊』ということが少し足らないんじゃ、と思ったので、そういう文面を入れていただきました。11時半の予定が12時近くまでかかりましたが、充実していました。これで解散。

 たまたま15日は『横須賀みこし祭り』にあたり、三笠ゲートから基地内に入れる(ま、米軍の許可の出た範囲ですが)ということで何人かの方は行ってみるということでした。かなりミーハーの私は行きたいところでしたが、実は、御茶ノ水の中大駿河台記念館で午後2時半から『日本の戦争責任資料センター』主催のシンポジウム『靖国と天皇 ―追悼の政治学―』があり、アピールさせていただくことになっていたので、京浜急行・汐入駅から御茶ノ水へ。

 パネラーは吉田裕さん、韓国の日本現代史研究者の若い南 相九さん、上杉聡さんです。それぞれ、たいへん興味深いお話でした。でも、本当に『国家の命令で戦争し、殺された人たちの追悼』というのは、難しい問題ですね。上杉さんがおっしゃっていましたが、『死者を利用するパフォーマンスの場』は、『政治そのもの』なんで

すから・・・これも上杉さんのお話ですが、日本軍人の遺骨の半分は、まだ日本に帰っていない!? そうです。ニューギニアの洞窟など、まだ日本軍人の白骨がたくさん残っているとか・・・まさに草生すカバネ、水漬くカバネとなりて・・・それで、千鳥が淵の戦没者墓苑では、なるべく小さくする!? ためなのか、30立方cmの中に1万人のお骨を入れているとか・・・思わず『ウッソー!?』と言いたくなってしまいました。それで35万人の遺骨が納められているそうです。

 南(ナム)さんのお話では、千鳥が淵の遺骨にも韓国人・台湾人の方の遺骨が含まれているはずで、そのまま『国立戦没者墓苑』、『新しい追悼施設』としていいのだろうか、という問いかけには、正直、そういうことは考えてもみなかったことなので・・・「うーん」・・・でした。

 3人のお話が終わった休憩の後、5分間アピールさせていただきました。参加者は40人くらいでしたが、若い学生さんも多く、真剣に聞いてくれました。嬉しかったのは、南さんが「ハンギョレ新聞で読んでいましたよ」と言ってくださったことです!

 というわけで、この週末も充実していました。でも疲れた・・・