太平洋戦争の影(1) 08/7/14

皆様、

私たちは、メルボルンに住むモナッシュ大学日本研究所客員研究員で、「今なお日豪関係にさす太平洋戦争の影」について調べています。その結果は、共著 ヤShadows of Warユ やセミナーなどで発表していますが、もっと多くの人に伝えたいという思いを強くしました。戦争の影が消えて、親密で誠実な真の日豪友好関係が築かれ、続いていくことを願望するからです。

日本人に知ってもらいたいことがたくさんあるのですが、今回は、最近の事情を下記のようにまとめました。お読みいただきご理解いただければ、願ってもないことです。また、ほかの方にも転送していただければ、嬉しくありがたく存じます。どうかよろしくお願いいたします。

足立良子 / アンドリュー・マカイ

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今なお日豪関係にさす太平洋戦争の影

去る9月8〜9日、シドニーでAPEC首脳会議が開かれましたが、それに出席した安倍前首相は、その直後の9月11日にオーストラリア連邦議会で演説するよう招待され、受諾していました。しかし、参議院選挙での惨敗後、一日も滞在を延ばせないと言わんばかりに、演説をキャンセルし、会議後はただちに帰国してしまいました。

この演説予定が5月に報道されたとき、オーストラリアでは、太平洋戦争中に日本軍がオーストラリア人に与えた被害に対して、日本総理が謝罪するのを期待する声が上がりました。

これを聞いて、怪訝な顔をする日本人も多いかもしれません。日本人は、太平洋戦争の敵国としてオーストラリアを思い起こさないでしょうし、若い人は、日本がオーストラリアと戦ったことさえ知らないでしょうから。日本総理の謝罪など思いも寄らないに違いありません。

しかし、オーストラリア人にとっての太平洋戦争とは、日本軍に65回もダーウィンを空襲され、日本に侵略されるという恐怖におびえたことであり、ポートモレスビーの占拠を図った日本軍の進撃をオーストラリア軍がココダ・トレイルとミルン・ベイで食い止めて、日本のオーストラリア本土侵略という大危機から自国を守ったことなのです。また、マレー半島に送られていたオーストラリア兵が捕虜として捕らえられ、日本軍の残虐行為を受けたことであり、無防備の負傷兵や看護婦さえもが日本軍に大虐殺されたことなのです。日本は最大敵国の烙印を押されたまま、今日に至っています。

日豪関係は、戦後、順調に健全に深まり、経済面でも文化的・人的交流の面でも非常にうまくいっています。今年の3月には、両国の総理が「安全保障協力に関する日豪共同宣言」に署名した仲でもあります。しかし、その陰には太平洋戦争に起因するわだかまりが潜んでいることを是非知ってもらいたいと思います。

このことは、私たちが、インタビューとアンケートによって、日本軍と戦った元兵士、元戦争捕虜、その家族たち、200人以上のオーストラリア人に戦争体験、戦時中及び終戦直後の対日感情、現在の日本・日本人観について尋ねた結果でも明らかでした。犠牲者であるにもかかわらず、「日本を許し、日豪は良きパートナーとして関係を深めていくべきだ」という寛大な親日感情をもつ人もいます。と同時に、日本軍の非人間的な戦争捕虜取り扱いのため、さらに、その事実を今の日本人の大半が認めなかったり知らなかったりするために、反日感情や複雑な対日感情をもつ人がオーストラリア社会に残っているのです。

インタビューとアンケートの結果、オーストラリア人は、犠牲者も含めて、補償問題には概して執着していませんが、親日家さえもが、日本人に太平洋戦争中の日豪間の戦いをしっかりと学び、認識してもらいたがっているということも分かりました。(インタビューとアンケートによって集めた声の代表的なものは、既刊の ヤShadows of Warユ に収録し、全員の声は、今出版準備中の ヤEchoes of Warユ に網羅しました。)

オーストラリア社会に潜む反日感情は、戦争記念日・戦没者追悼式を初め、戦争が想起される度に表面化します。たとえば、日豪両総理が「安全保障協力に関する日豪共同宣言」に署名した際のことですが、そのニュースが流れるやいなや、ラジオのトークバック番組や新聞の投書欄に抗議の声が殺到しました。同宣言は、テロ対策や海上・航空の保安、大量破壊兵器の不拡散、和平の監視や災害時の人道救援、情報交換などの面での協力を謳うほか、日本の自衛隊がオーストラリアの本土で訓練することも認めたものです。これが、太平洋戦争の傷痕を消せないでいるオーストラリア人の気に障ったのです。典型的な声を二つだけ挙げましょう。

「よくもそんなことが!叔父や泰緬(タイ=ビルマ)鉄道で一緒だった戦友たちは、日本兵がオーストラリアで訓練するという計画に、墓地の下で身もだえしているだろう。」

「日本が戦争犯罪に対して謝罪する前に、ジョン・ハワードが日本兵をオーストラリア本土で訓練させる関係を日本と結んだのは間違っている。日本人は大量虐殺、残虐行為、奴隷扱いなどに対して謝罪するだけではなく、日本の生徒たちに史実を教えるべきである。それがなされるまで日本と今回のような関係を結ぶべきではない。戦争がどんなものであるか、首相が経験していないのは誠に遺憾だ。決定は、ハワード首相ではなく、日本人と戦ったオーストラリア人がするべきだ。全員が日本人を許しているわけではない。」

ハワード首相も、日本に向かっては非常に社交的に振る舞っていますが、戦争に動揺する心情が今なおオーストラリア社会にあるのは百も承知なので、国内向けには、「オーストラリアは決して過去を忘れはしない。共同宣言に署名したからといって、オーストラリア人は第二次世界大戦の経験を忘れるべきだというわけではない」と言っています。

日本軍が働いた残虐行為に関しては、泰緬(タイ=ビルマ)鉄道建設での奴隷的使役、サンダカンの死の行進、バンカ島での看護婦虐殺、病院船セントアーの沈没、ニューギニアでの人肉食など多くの例が挙げられます。2万2千人のオーストラリア兵が日本の捕虜になりましたが、戦後母国に帰れたのは1万4千人ばかりに過ぎません。8千人、つまり捕虜の3分の1以上が、熱帯病、飢え、過労、虐待などのために命を奪われたのです。一方、日本の同盟国ドイツ・イタリアの捕虜になったオーストラリア兵は8千2百人で、命を奪われたのは265人、つまり3%余りです。これだけでも、日本軍の戦争捕虜取り扱いが、後々までオーストラリアで問題視されるのも当然のことと思われます。

さらにオーストラリア人は、元従軍慰安婦にも深い同情を寄せています。米国では、7月に下院で慰安婦問題に関する決議案が可決されましたが、それに先立って2月に、米下院公聴会で3人の元慰安婦が証言しました。そのうちの一人はオランダ系オーストラリア人、今はアデレードに住むジャン・ラフ=オハーンさんです。ラフ=オハーンさんの悲惨な体験と、彼女が60年以上公式謝罪を待っているということは、オーストラリアでも大きく報道され、オーストラリア人の胸を締め付けました。

ラフ=オハーンさんと支援者のキャンペーンによって、日本政府に公式謝罪と補償を求める決議案がオーストラリア連邦議会にも提出されています。その決議案は、今年9月19日の上院で3度目の否決という結果に終わりましたが、議会での賛否の差はわずか一票でした。キャンペーンは今後勢いを増すことになるでしょう。ラフ=オハーンさんも、安倍前首相のオーストラリアでの国会演説に大きな期待を寄せていた一人です。

以上のような太平洋戦争にまつわるオーストラリア事情は、日本では知られていないようです。たとえ知っていても、今なお残る反日感情は、戦争の傷が癒されていない一部のオーストラリア人の心情に過ぎないとか、犠牲者の他界と共に消え去るだろうと思う人が多いかもしれません。しかし、日豪間の戦いと日本軍の戦争捕虜取り扱いは、今後もオーストラリア人の記憶から消えないだろうということを、私たちは確信しています。そもそも太平洋戦争は、オーストラリア人がオーストラリアのために戦った史上唯一の戦争です。その重要性が、英国離れ・共和制志向の流れの中で再認識され、太平洋戦争の史実を若い世代に受け継がせる政策がとられ始めました。その結果、若い人自身が太平洋戦争に非常な関心を持ち始めたのです。

学校教育や、書物、映画、演劇、メディアなどによる国民教育を通してだけではありません。学校の生徒たちは、戦争記念・戦没者追悼の式典に参列するようにも奨励されています。たとえば、毎年9月の第一水曜日には「オーストラリアを守った戦い記念日」式典があります。これは、「1941〜45年にオーストラリア及び委任統治領(現在のパプアニューギニアは、当時、北半分は国際連盟から委任されたオーストラリア統治領、南半分はオーストラリア領でした)を守るために戦い、オーストラリアの領土・領海から日本軍を退去させた英雄的資質、犠牲、奉仕を理解し、感謝するよう若い世代を教育する」という趣旨で設けられたものです。この式典の発起人は、退役軍人の諸機関や政府関係省の代表、教師、コミュニティーのリーダーたちですが、1998年にメルボルンで始まって以来、全国的に浸透し、ますます重要視されるようになってきています。「今日の日本と日本人を非難する意図はない」という但し書きも趣意書にはありますが、チャンギ戦争捕虜収容所、泰緬(タイ=ビルマ)鉄道、サンダカン死の行進などにおけるオーストラリア人戦争捕虜の体験も、史実として若い世代に伝えることをはばからないと、式典委員会ビクトリア州会長テッド・ラインズ中佐(退役)は断言しています。

このようにオーストラリアの若者は、戦争史、特に太平洋戦争史、すなわち対日戦争史を学んでいるのです。それに対して、日本の若者はどうでしょう。歴史教科書から日本の加害面を言及する「暗いページ」が抹消されて、戦争史の全貌を学べないとあっては、日本軍がオーストラリア人捕虜に残虐行為を働いたことなど、知る由もないでしょう。日本がオーストラリアと戦ったことさえ知らないかもしれません。

この、日豪間に生じた若い世代の歴史教育の差は、将来、両国の関係に支障を来さすことにならないでしょうか。既にオーストラリア人は、日本人は太平洋戦争中の行為に面と向かうことができないでいるが、どうしてだろうと引っ掛かりを感じています。来豪した日本人は、オーストラリア人が余りにもよく戦争について知っていて、話題にするのに驚き、戸惑っています。この溝が、これからますます深まるのではないかと懸念されます。今日のオーストラリアのリーダーは、政界でもビジネス界でも、まもなく日豪間の戦いについて小学校時代から学習させられた世代に取って代わられ、新しいリーダーが日本と関係を持つようになります。戦争史を習ったがために反日感情を抱いているとは思いません。事実、私たちがインタビューした生徒や歴史の先生たちは、太平洋戦争を非常に重要ではあるけれど過去の出来事とみなし、現在の日本・日本人観が左右されるようなことはないと保証しています。しかし、オーストラリア人側は、相手が共有すべき恐ろしい血みどろの過去について全く無知なことに、呆れ、感情を害されるでしょう。日本人側も、自分たちの知らなかったことを指摘されて、合点が行かず、感情を傷つけられるでしょう。そんな場面が容易に想像されます。このような気まずさがあっては、真の日豪友好関係は望めません。

若い世代に対して自国の暗い歴史も包み隠さず、学校で詳しく教えたり、情報を提供したりすることが大切だと言うと、日本の愛国主義者から、それは自虐的で若者に日本人としての誇りを失わせると反撃されるようです。果たしてそうでしょうか。

2005年のこと、広島から来豪した高校生30人が、ビクトリア州帰還兵連盟の一支部で元戦争捕虜に会って、泰緬(タイ=ビルマ)鉄道でどんなことがあったかを聞く機会がありました。生徒たちは涙を流し、口々に言いました。「この人たちの話は非常に貴重だ。さまざまな経験をしていて、私たちは多くのことを学んだ」、「私たちは、広島で起こったことだけではなく、ほかの国で起こったことも理解しなくてはいけない」と。このような日本の若者とオーストラリア人元将兵との対面・話し合いは、ここ数年帰還兵連盟の支部で行われ、日本人が熱心に話を聞きたがっていることに、オーストラリア人が感銘を受けていると聞いております。

また、私たちが、オーストラリアに住む日本人駐在員や学生からよく聞かされることに、「ダーウィン、ココダ、チャンギ、鉄道、サンダカンなどなどについて、日本で教えてもらいたかった」という感想があります。この人たちにとっては、日豪間の戦いについても、日本軍の戦争捕虜取り扱いについても知らないで来豪し、オーストラリア人から教わる方が、日本で暗い歴史に向き合うよりも、もっと恥ずかしいことなのです。

日豪関係にさす戦争の影を消すためには、日本人はオーストラリアとの戦いについて全面的に学び、日本軍の働いた残虐行為を認め、真摯な態度で対処しなければならないと私たちは確信しています。近年は日本でも、歴史認識や戦争責任について盛んに論じられ、太平洋戦争を総括して、きちんとけじめをつけようという動きがありますが、その作業の一端でもあります。さらに、日本は今後も、世界唯一の被爆国として、全世界に広島・長崎の経験を知らせ、同じ悲劇が繰り返されないようにとアピールしていくべきですが、その際にも、日本側の加害者としての過ちを認めた上でのことでなければ説得力がないでしょう。

私たちのインタビューやアンケートに応じてもらったオーストラリア人の間に、「日本人も戦争の犠牲者だった」という声がいくつかありました。この人たちは、戦争当時捕虜として日本で収容されていたり、あるいは終戦後占領軍の一員として日本に駐留したりして、被爆地の悲惨きわまる様を目の当たりに見、日本人と共に苦しみ・悲しみを感じてくれたのです。もしも日本人がオーストラリア人戦争捕虜の苦悶を感じたら、交感が生じ、敵味方の境界線が取り払われるのではないでしょうか。そうなれば、日豪は肩を並べて、ほかの戦争体験も分かち合えるでしょう。戦争はどちらの国民にも惨事だったとみなすでしょう。同じ過ち・悲劇を繰り返すまいと共に誓うでしょう。このように、両国民が過去の戦争を共通の歴史として受け止めれるようになるためにも、日本側の加害認識が必要だと思われてなりません。

日本の総理は、ここ数年、終戦記念日の全国戦没者追悼式で、加害責任を認め、「先の大戦において、我が国は多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。深い反省と共に、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します」と言明しています。

同じ気持ちを、安倍前首相が、日本国民を代表して、オーストラリア連邦議会でオーストラリア人、特に元戦争捕虜と元慰安婦に対して表明していたら、どんなによかったことでしょう。その気持ちを、表明するに至った歴史的背景を学校で教えるなどして、日本国内で反映させなければ十分とは言えません。しかし、日豪の間柄を、今享受している経済や文化面での良友関係から、逃れることのできない史実も認識し合った陰りのない親友関係にまで深めるための、大きなステップになったに違いありません。そのチャンスを逸してしまったのは、全く残念なことでした。

日本で福田内閣が発足するなど、時世は移ります。しかし、前首相にかけた期待が外れた今、相変わらず、オーストラリア側には、「やっぱり日本は過去に向き合う気がないのだ。太平洋戦争の加害面を葬るつもりなのだ」と見なされ、日豪関係には戦争の影がさしています。しかも、その事実を日本人は知らないでいることが、私たちには気掛かりなのです。