皆様
〜雑感〜
♪晴れた朝、雨の日とはだいぶ違う感じ
雨の朝、秋野菜が喜びます
地球は 凄い ありがとう♪
2008年9月26日(日)14時〜17時、我孫子栄光教会、「サンフランシスコ条約と安保条約」の報告です。
貴重な内容でしたので資料からたくさん抜粋しました。
長文を失礼します。
天皇の戦争責任やその隠蔽、天皇の大活躍、共産党の弾圧等、
学校の授業では余り聞けない史実も報告しますので、
驚かれた方は、悪しからず、です。
この授業は、あびこ平和ネット主催、全15回のシリーズ企画、
増田都子先生の社会科授業「近現代史の真実を知ろう」16回目です。
現代史を網羅する為、20回シリーズとなりました。
今回は事前に先生へ提出し合ったそれぞれの意見を、
皆で読み合い、意見交換をしました。
今回も11名の方々が参加して下さいました。有り難うございます。
●今月のお勧めサイト●
彦坂諦「なぜ「内なる天皇」を追放できないのか?」
http://www.xn--x41az7v.jp/nazedekinai.pdf
●今月のおっどろき●
- 配付資料より抜粋
ノーム・チョムスキー「メディア・コントロール」集英社新書
「...講和条約が、日本がアジアで犯した犯罪の責任をとるようにつくられていなかったからです。日本は結局アメリカが賄ってくれるからです。しかしもちろん、アメリカには支払いをしなければなりませんでした。占領費やその他の犯罪のつけをアメリカに支払う。アジアの人々には支払わない。アジアに対しては何も提案されませんでした。それは日本が、誰もが知るところの真の戦争犯罪人である天皇のもと、以前のファシズム体制を復活させて国家を再建しようとしていたからです。それも、アメリカの派遣の枠組みの中で。」
●日本近現代史年表より
- 1947年9月19日 宮内庁御用係「寺崎英成」日記
「シーボルトに会う 沖縄の話 元帥に今日話すべしと云ふ
余の意見を聞けり
平和条約にいれず 日米間の条約にすべし」
(豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見岩波現代文庫』)
→ これは明確な憲法違反
シーボルトはGHQ政治顧問
- 1948年12月10日 国際連合総会、世界人権宣言を採択
「前文
人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として
反逆に訴えることがないようにするためには、
法の支配によって人権保護することが肝心であるので、...」
「第一条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、
尊厳と権利とについて平等である。
人間は、理性と良心とを授けられており、
互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」
→ 日本国憲法と兄弟の世界人権宣言。
パレスチナの人々の抵抗のように、
「反逆に訴えることがないようにするためには」
by 増田先生の呟き
私たちは何をしよう。
- 1949年7月4日 国鉄、第一次人員整理37000人と発表
- 同年7月5日 国鉄総裁、下山定則、行方不明(翌日、轢死体で発見)
→ 下山事件未だ未解決。
- 同年7月15日 三鷹事件(無人電車暴走、6人死亡、20人負傷)
- 同年8月17日 松川事件(東北本線でレールが外され列車転覆、乗員3人死亡)
→ 「国鉄三大ミステリー事件」、共産党員が逮捕されたりする。
→ Wikipediaより
「共産党およびその影響下にあった労働運動は、下山、三鷹、松川事件に関与したと報道されたことによって世論の強い批判を受け、活動の自粛を余儀なくされることとなった。結果的に、国鉄を含めた各業界における人員整理は、当初予想された混乱もなく占領軍及び日本政府の思惑通りにスムーズに進行した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
- 同年11月26日 天皇・マッカーサー第9回会見(豊下『同』)
元帥「...」
天皇「ソ連による共産主義思想の浸透と朝鮮に対する侵略等がありますと、国民が甚だしく動揺するが如き事態となることを惧れます。...」
1950年2月1日 ソ連、米政府に覚書手交「天皇および数名の元日本軍高官を細菌化学戦争の立案に関わった罪で『追加戦犯』として国際軍事法廷に付すべし」
→ 「戦犯天皇」を主張するソ連を恐れていたのは昭和天皇自身。
同年4月18日 第10回天皇・マッカーサー会見
天皇「イデオロギーに対しては共通の世界観を持った国家の協力によって対抗しなければならないと思います」
元帥「共産主義はマルキシズムに立脚した独裁制をもって世界制覇を目論んでおります。...」
同年5月3日 マッカーサー、共産党非合法化を示唆
同年6月6日 マッカーサー、共産党中央委員全員24名の追放を指令
→ 明確な憲法違反
同年6月25日 朝鮮戦争勃発
同年6月26日 天皇、ダレスに口頭メッセージ
(側近の松平康昌が友人のニューズウィーク東京支局長パケナムを通して)
天皇「...」
ダレス「同意...宮中がマッカーサーをバイパスするところまで来た...」(豊下楢彦『安保条約の成立』岩波新書より)
→ 軍国化を推し進めない吉田茂を信頼せず、追放された軍人達を再登用すべきというような内容
同年7月8日 マッカーサー、警察予備隊の創設を指令
同年8月10日 警察予備隊令、公布
同年8月 天皇の文書メッセージ「...」
→ 7月29日の参議院外務委員会における、吉田茂と社会党の伊藤源一郎、金子洋文との質疑を「基地問題をめぐる最近の誤った論争」とし、追放された軍人達を再登用すれば、「日本の側から自発的なオファによって(そうした議論も)避けることができたであろう」、という内容
同年9月1日 閣議「レッドーパージ」方針を決定
同年10月5日 小泉信三「(日本が再軍備すれば)ソ連の天皇戦犯裁判の要求ごときもつづけられよう」(吉田召集の有識者会議)
同年10月13日 GHQ、請願中の約1万名の「軍国主義者」の追放解除を承認
同年10月30日 吉田首相の指示にひより「北太平洋6国条約案」のC作業 (日韓中英米ソ)の6カ国
「第一・二条 日本・韓国の非武装
第三条 ...「軍備制限地帯」
第四条 ...「非軍事化」
(沖縄も非武装地域に)
第九条 非武装・軍備制限のために「常時監視する責務を国際連合に委託する」」
同年11月10日 旧軍人、初の追放解除
1951年1月1日 マッカーサー年頭声明「講和と日本再武装の必要性」
同年1月25日 ダレス講和特使、来日「日本をソ連およびその支持国とわれらの闘争において強力で忠実な同盟国にすること」
同年1月26日 ダレス、米使節団スタッフ会議
「我々は日本に、我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を獲得できるであろうか?これが根本的な問題である...」
同年1月29日 日本側、最終「対処案」、完成
吉田首相自身の指示により「非武装・中立地帯案」削除
吉田・ダレス第1回会談
→ 吉田は天皇の意向をうけるかたちで、非武装・中立地帯案を引っ込めた。吉田茂はあくまで日米台頭で、沖縄をうらないことを考えていた。
同年2月10日 天皇・ダレス会見
ダレス「日本側の要請に基づいて米軍が日本とその周辺に駐留すること...(それは)日本が自らの防衛のために必要な手段を採るまでの暫定措置」
天皇「衷心からの同意」 ※(衷心から=心の底から)
ダレス「公正で道理ある(講和条約実現に向け天皇の権威と)確たる影響力...支援を」
天皇「同意...」
同年2月14日 吉田『日米第一次交渉の経過』を内奏
→ 憲法違反
同年4月11日 トルーマン大統領、マッカーサーを罷免、後任はリッジウェー
同年4月15日 第11回(最終)天皇・マッカーサー会談
天皇「戦争裁判に対して貴司令官が執られた態度に付、此機会に謝意を表したいと思います」
元帥「...現在尚天皇裁判を主張しているのはソ連と中共のみであります。...」
天皇「共産主義思想の当然の結果でありましょう。」
(豊下『会見』)
同年5月2日 天皇・リッジウェイ第1回会見
同年6月20日 第2次追放解除13904人
同年8月10日 ダレスの指示によりシーボルトが井口外務次官に要請
「日本の全権委任状に天皇の認証あることを明示されたい。全権は陛下におかせられて謁見式を行われるような方式で公表されたほうがよろしかろう...これは今度の平和条約が天皇陛下によっても嘉納されておることを世界に明らかにするためである」
同年8月16日 旧軍人11185人、追放解除
→ 現在も尚、時効無く、ナチスを裁き、国として賠償し続けるドイツとのこの違い
同年8月25日 インド、対日講和条約への不参加を決定 安保条約最終案文確定
同年8月27日 天皇・リッジウェイ第2回会見
同年8月28日 吉田「サンフランシスコへ出発をひかえて」内奏
同年9月8日 対日平和条約、日米安保条約調印
同日 特高関係3336人追放解除
同年9月18日 天皇・リッジウェイ第3回会見
同年12月 『フォリン・アフェアーズ』誌へのダレスの寄稿
「(日米安保条約について)アメリカは日本とその周辺に陸海空軍を維持し、あるいは日本の安全と独立を保障する、いかなる条約上の義務も負っていない」
→ いろいろな権利だけある
1952年3月27日 天皇・リッジウェイ第4回会見
天皇「(朝鮮戦争に)ソ連が直接介入するような兆候はないか?(共産側が)仮に大攻勢に転じた場合、米軍は原子兵器を使用されるお考えはあるか?この問題に対しては恐らく貴司令官も答える立場に無いと言われるかも知れないが」
リッジ「原子兵器の使用の権限は米国大統領にしかない」
(豊下『会見』)
同年4月28日 講和条約発効
ダレスが『然るべきチャンネル』を通じて天皇に個人メッセージ
「達成された成果への大いなる満足...(天皇が)双方に関係する諸問題について、互いに議論し合う機会を数回も与えられたことへの感謝(の意を表明し)両国間の永続的平和という大義への陛下の献身(の重要性を感謝します)」
●感想
戦後日本の行く末を、昭和天皇がこれほどかたちどっていたとは。
戦犯天皇、を主張するソ連の台頭をおそれ、
米軍に駐留して欲しい、共産主義をどうにかして欲しい、
その為にも私の信頼する戦犯達に復帰してもらいたいと、
米軍と米政府に頼み込んだ昭和天皇。
それを利用し、軍国化やレッドパージで日本を占領し続けている米政府。
マッカーサーと昭和天皇の会談で、
昭和天皇が「全責任を負う」と発言した、
ということが、
史実でなかったこと。
これは、増田先生のタネ本である、
豊下前掲書に書かれている。
日本の戦後現代史。それは天皇の歴史でもある。
天皇や日米高官の憲法違反の数々。
「第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」
誰が悪い、彼が悪いということを指摘すると
波風立つこの菊タブーのご時世だからこそ、
史実に基づいて権力者の成したことを知っておきたいと思います。
「天皇と国民がつるんで、戦争責任を免れた」というような授業の感想がありました。
「日本国民は...政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」ているのだから。
嘘に嘘を塗り重ねたプロペラ プロパガンダ。
そんなお豆腐の上にたったこの国の政策。
戦後の対共産主義政策。
今の共産党と社民党は象徴天皇をどう捉えているのだろう。
民主党も自民党も、相も変わらず、
日米同盟が第一とのこと。
それで良いのでしょうか?
私たちの未来は私たちが選びます。
●今後の予定●
第17回 11月1日(土)14時〜我孫子栄光教会(湖北駅南口)、
「安保改定とベトナム戦争」
第18回 高度経済成長と世界
第19回 冷戦後の世界と日本
第20回 近現代史学習を振り返って
皆様ぜひ、いらして下さい。
皆さんのうちに平和がありますように、
●朗報●
千葉の印西でも近現代史講座の構想が出て、
静岡の小田原でも近現代史講座 第1回が9月28日に始まった様です。
宜しければ、学びを交換しあいましょう。
有り難うございます。
豊田 義信 yoshinobu000-lj(a)infoseek.jp
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