増田都子先生の近現代史 第13回「大日本帝国の敗北」報告 08/7/5

こんにちは。増田です。先日の私の市民講座の授業について、参加者が内容と感想を紹介してくれました。長文、重複、ご容赦を。
 皆様も、ご都合がつきましたら、次回、7月27日、ご参加ください。


増田都子先生の近現代史 第13回 「大日本帝国の敗北」報告
●皆様

 2008年6月29日(日)14時〜湖北台近隣センター、「大日本帝国の敗北」の報告です。
天皇の戦争責任や言論弾圧の暗殺等、学校の授業では余り聞けない史実も報告しますので、驚かれた方は、悪しからず、です。

 今回は1945年大本営の詳細な記録がプリントとして配られました。資料として、ここに書かせて頂きます。

この授業は、あびこ平和ネット主催、全15回のシリーズ企画、増田都子先生の社会科授業「近現代史の真実を知ろう」13回目です。

 今回も15名程度の方々が参加して下さいました。有り難うございます。

今回は先ず原爆記録映画『予言』(羽仁進監督編集)を見てから、授業プリントで学習です。

●今月のおっどろき●
-1975年10月31日、「(戦争責任を認めるかと問われ)そういう言葉のアヤについては私はそういう文学方面はあまり研究していないので、よく分かりませんから、
お答えできかねます」(日本記者クラブにおける会見)

↑授業会場からは苦笑

今回の授業プリントは、天皇とその周辺の言動の事実が、引用先を明記して、克明に記されていて、充実していた。

 引用先は、『近衛日記』や『細川日記』、『昭和天皇の戦争指導』、『高木海軍少将覚書』、『毎日新聞』、『天皇独白録』、『日本人と戦争』、
『(ハーバート ビックス)昭和天皇』等、どこでも手に入るものだった。

●授業プリント、近現代史年表より

-1944年6月22日の近衛文麿日記
「(東久邇宮が語る)悪くなったら、みな東條が悪いのだ。すべての責任を東條にしょっかぶせるのがよいと思うのだ。内閣が変わったら責任の帰趨がぼんやりして最後には皇室に責任がくる恐れがある」

-1944年8月10日
「軍需省、秘密報告「これによりわが国は物的に崩壊」

-1945年2月14日、近衛、天皇に上奏
「敗戦は遺憾ながら必至なりと存じ候。国体(※天皇制)のたてまえより憂うべきは、敗戦よりも敗戦に伴って起こるかもしれない共産革命にござ候。よって国体護持の立場よりすれば1日も速やかに戦争終結の方途を講ずべきと確信つかまつり候」

天皇「もう一度戦果を上げてからでないと中々話は難しい」と拒否

-1945年3月16日、天皇側近による終戦のシナリオ作りが始まる。「時期作戦は一応A(=Army陸軍)にやらせ、戦争一本で進んである程度に来た時HM(=His Majesty天皇)、表面に出られて転換を命ぜられAが引っ込む、こういう方式はどうか」(『昭和天皇の戦争指導』昭和出版)

-1945年6月4日、元大蔵大臣を宮内大臣にし、敗戦時の天皇家の財産保全を準備

-同6月8日、天皇、本土決戦案を裁可
「一億玉砕する(2100万人の国民の死を予想) 天皇は長野県の松代地下大本営に移り、大元帥として指揮する」

-同6月23日、国民義勇兵役法公布「武器は自前で用意、本土決戦に2800万人を動員予定」

-同7月25日、天皇の問いに対する木戸の回答(『木戸日記』)
「ここに真剣に考えざるべからざるは三種の神器(剣、玉、鏡)の護持にして、これを全うしえざらんか、皇統二千六百年の象徴を失うこととなり、結局、皇室も国体も護持し得ざることとなるべし」

●戦後の昭和天皇発言●
(1975年の天皇発言「(原爆投下は)戦争中であることですから、どうも広島市民に対しては気の毒ではあるが、やむをえないことと思っています」)

●授業後の意見交換●
「歴史修正偽造する人に対して、史実を伝えると、自分が否定された様に受け止め、怒る」

「今の世の中、天皇の戦争責任がタブー視され、言論が圧殺される状況だ。戦時中のマインドコントロールの後遺症だ。言うことの怖さ。共産党にかかわるのが怖いという感じ。」

(そんな状況だからこそ私は、あえて天皇の戦争責任を学ぼう。それを発信しよう、と思う。私は平和をまもろう、つくろうとしている人を応援しよう。脅されず、おびえず、自粛せず。)

「マインドコントロールに置かれている人々に対しての働きかけは、スティーヴン ヘッサン『マインド・コントロールの恐怖』 が参考になる。」

「マインドコントロールを受けた人達は、組織から出ると命が無いと思っている。一様に死んだ魚の目をしている。つまり、思考停止の状態。攻撃は、逆に殻を固く閉ざすので、逆効果。太陽政策で、コートを脱がすように。」

●増田先生の想い●
(○○メモですので、先生添削して下さい)

「昭和天皇が亡くなった時、ある生徒の日記を見て愕然とした 『昨日、皇居へ記帳しに行こうと思ったけど行かなかった』 それからは、どんな目にあおうと、私が腰を据えて教えないと、と思った。

 1997年に反米教育だ、偏向教育だと攻撃が始まったが、私は覚悟の上だった」

都教委による個人情報漏洩を問う裁判で勝利した先生。都教委による分限免職(クビ)の違法性を問う裁判、注目しています。

●今後の予定●
第14回 7月27日(日)14時〜湖北台近隣センター(湖北駅南口)、「東京裁判と日本国憲法」

われらの拠り所、日本国憲法。

●第15回
*日時・場所未定
*テーマ「戦争責任を考える」

皆様ぜひ、いらして下さい。皆さんのうちに平和がありますように、


●増田から○○さんへ
 こんにちは。増田です。授業内容のご紹介、たいへん、ありがとうございました。たいしたところではありませんが、事実と違うのは良くありませんので、一箇所だけ訂正をお願いします!

> 「昭和天皇が亡くなった時、ある生徒の日記を見て愕然とした
>
 「生徒の日記」ではなく「生徒が書いて私の机の上に置いていた学級日誌」です。たぶん、月曜日のことだったのでしょう。この生徒は前日の日曜日に皇居に行って昭和天皇平癒を祈願する記帳をするつもりだったけれど、雨が降ったのでやめた、ということです。本当にこの学級日誌の記事にはいろいろと考え込まされました。

増田都子先生の社会科授業 「近現代史の真実を知ろう」
全20回シリーズ(15回では終わらないので延長します)(一ヶ月1回)

対 象:中高生〜大人まで
参加費:500円(中高生無料)
主 催:あびこ平和ネット