第6回授業の感想 07/12/4

第6回「近現代史講座」の感想
ちょっと長いんですけど、先日の近現代史講座の報告を書いてくださった豊田さんと私の補足をご紹介します!


皆様

2007年11月25日(日)我孫子栄光教会にて、あびこ平和ネット主催、全15回のシリーズ企画、増田都子先生の社会科授業「近現代史の真実を知ろう」第6回 『第一次世界大戦と日本』に参加しました。

●今回の資料より一言●
スペンサー・トレーシー裁判長
「最初にひとりの人権が侵されたとき、すべてがはじまった」

●●●●●●

授業はまず、明治末45年で大正元年の1912年度末、呉海軍工廠の労働者3万人ストから。労働者の権利をまもる運動の広がりから、その後の情勢について、ワークシートの穴埋めをもとに、授業は進みます。

以下新しく知ったことや印象に残ったこと。
-1914年、海軍首脳が賄賂を受け取っていたと判明したシーメンス事件。現在の山田洋行と防衛省との癒着のことを思い出しました。氷山の一角だと思います。
-国内の民主主義運動の盛り上がりをそらし、独領山東省を奪う為、第一次世界大戦に参戦。参戦の決定は、国民も国会も知らないところ、天皇が任命した元老大臣会議にて、1914年8月8日対独参戦を決定。
-1915年、山東省権益を奪うことを決めた対華21ヶ条要求の第1条「支那国政府は、ドイツが山東省に関して持っている条約の権利、権利譲与等の処分について...承認することを約束する」。中国政府がこれをのんだ5月9日は国恥記念日。日本もこれを覚え国恥記念日としてはどうだろう。
-1918年8月14日、再び呉海軍工廠にて3万人が、水兵隊と市街戦。各地で被差別部落住民が蜂起の先頭に立った。
-1918年11月第一次世界大戦終結。1919年、ガンジーの非暴力抵抗運動開始、中国五・四運動、独ワイマール憲法。
-1920年国際連盟第1回総会。不戦を誓うも、戦場とならず死者も少なかった日本は、戦争の悲惨さを知らず第二次大戦を起こすことになる。
-第一次世界大戦、世界で3751万人の死傷者。露軍死傷者は915万人、仏、独、墺軍も500万人以上。日本軍は1210人。
-1917年ロシアで革命。ソ連は市民の政治的自由を認めず、かえって生産力が落ちたという一面もある。日本はシベリア出兵。5000人の死傷者と9億円の戦費。誰一人、責任をとった者はいない。

●増田先生へ●
共産主義、スターリン主義についての増田先生と話したことで、正義のこと、組織と個人の関係のこと、とても考えさせられました。

また、平和つむぎメイリングリストでのやりとりで、増田先生の目的とする教育の輪郭が少しずつ見えてきた気がします。

次回、時間が許せば、受講生の皆さんとぜひ、メイリングリストに受講仲間が2007年11月19日(月) 午後1時50分に送ってくださった『「あたらしい学問」のすすめ』やその受講生と増田先生のやりとりを読んでみたいです。

そのやりとりは、教育について、教育「させられる」無意識の思考のこと、教師の無力化、教師の役割について、やりとりされていると読み取り、この講座でも重要だと思いましたので、関連する抜粋だけでも。

●今回の授業の感想、意見●
行政にしかできないことはもちろんある。
だからこそ、国民を騙そうとする国策に抵抗していくこと。
自分のとらわれに気づくこと。

授業と関連はないですが、そんなことを思いました。

また、シベリアに出兵した兵士の呟きから、イラクへ出兵している兵士たちのことを覚えました。
「何故、シベリアへ来なければならなかったか。それはだれによこされたのか?」
「...シベリアへよこした者は、...屁とも思っていやしないのだ。...代りはいくらでもあるのだ。」(黒島伝治『渦巻ける烏の群れ』より)

重要な任務についている、とその当時も言われたのでしょう。
現在の自衛隊の皆さんはどうだろう。政府の考えた様に考える人もいるだろう。
その方が出世するだろうし、楽だろうし。
自衛隊の人々の苦労を思う時に、何よりも虐殺されたイラクの人々のことを思う時に、やはり確信します。

イラクとアフガニスタンからすぐに、今、撤兵を!

●今後の予定●
第7回 12月15日(土)14時〜我孫子栄光教会、「民族独立運動と大正デモクラシー」
第8回  1月26日(土)14時〜こもれび(東我孫子)、「タイトルは後日」
皆様ぜひ、いらして下さい。

戦争国家化に抗う世界中の人達のことを覚えて、

豊田義信


<増田より>

こんばんは。犯罪都教委&3悪都議と断固、闘う増田です!

 豊田さん、「近現代史講座第6回」の報告、たいへん、ありがとうございました。資料について、説明の不足がありましたので、ここで補足&補足をさせていただきます。

『スペンサー・トレーシー裁判長「最初にひとりの人権が侵されたとき、すべてがはじまった」』について、です。これは羽仁五郎『自伝的戦後史』(スペース伽耶)から採ったもので、映画『ニュルンベルグ裁判』(スタンリー・クレーマー監督)の中で、俳優のスペンサー・トレーシーが演ずる『ニュルンベルグ裁判の裁判長』が、ヒトラー時代の法務大臣のエミール・ヤニングに言った言葉です。

エミール・ヤニングはナチス党員ではなかったんですが、羽仁五郎によれば「ドイツの大学の法学部のたいへん偉い人だった」ので、ナチスに頼まれて法務大臣になったのです。そして、断種法に賛成し、ドイツ人がユダヤ人と性交渉をもつことを死刑をもって禁止することまでしたのです。そのため、ニュルンベルグ裁判で終身刑となりました。

羽仁五郎さんの前記著作の中では、以下のように書かれています。

『終身刑を言い渡した後、ヤニングは裁判長に「きてほしい」と頼んだ。牢獄を訪ねた後、裁判長が「なぜ私をよんだのか」ときくと、ヤニングはこういった。「実が私はあのアウシュビッツのようなひどいことになるとは思わなかった。」これが、この間の戦争について、われわれの考えなければならない重大なことなのだ。スペンサー・トレーシーの裁判長は、答えている。「最初に一人の人権が侵されたときに、すべての悲劇がはじまったのです」』

・・・さて、「日の丸・君が代、不起立」を罰する都教委の「10・23通達」が出されたのは、03年で、都教委の暴走はとどまることを知らない状況です。しかし、ここに至る都教委&3悪都議(土屋たかゆき、田代ひろし、古賀俊昭)&産経新聞の「悪の枢軸」が平和教育攻撃を始めたのは、1997年の足立十六中における増田の「社会科地理・沖縄米軍基地授業」に対する『反米偏向教育』攻撃事件からでした。

増田が都教委から不当処分(減給)を受けたこの時、増田が所属していた「『日教組は闘わないから』として組織を割って作られた某全国教職員組合(『某政党と、要求が一致するので、いつも一緒に行動するだけだ』と言っている)」は、所属組合員であった増田の平和教育実践を「偏った教育」と明記した誹謗中傷ビラを配りまくって喜んでいたのでした。当時の都教委指導部でさえ「中立性を欠く=偏向教育とはいえない」と明記していたにもかかわらず・・・

東京都においては1997年「最初に一人の教員の教権が侵されたときに、すべての悲劇がはじまったのです」が、某全国教職員組合に属する東京の某教職員組合は、未だ、その犯罪的行為・自殺行為には気がついていません・・・気がつきたくない!? のかも・・・


●今後の予定●
第7回 12月15日(土)14時〜我孫子栄光教会、「民族独立運動と大正デモクラシー」
第8回  1月26日(土)14時〜こもれび(東我孫子)、「タイトルは後日」

増田都子先生の社会科授業 「近現代史の真実を知ろう」
全15回シリーズ(一ヶ月1回)

対 象:中高生〜大人まで
参加費:500円(中高生無料)
主 催:あびこ平和ネット