30日、小田原近現代史講座最終回の感想 11/3/7

皆様
 こんばんは。犯罪都教委&1.5悪都議と、断固、闘う増田です!

 以下は、「小田原近現代史講座・特別編」最終回の感想です。


2011年1月30日 <小田原近現代史講座・特別編(最終回)
             「昭和天皇の『全責任』発言の謎を解く」の感想・意見>

*歴史事実に忠実・誠実でなければ、世の中の仕組みを背景に、その時代、時代で泣いた人苦しんだ人、死んだ人、殺された人たちが、本当に報われないと思います。
 
「なぜ、私は歴史に興味を持つのか?」、増田先生の授業を受けて、自分自身でも気付きがありました。それは、もう、取り戻すことのできない、その人たちの人生や命の時間に深く共鳴するからです。

 正義を求めながら報われない人たちの、報われない無念の思いを知らしめてくれている増田先生に感謝です。「歴史の偽造」、その再生産など「冗談じゃない!」と、思いました。

*私は、マッカーサーと昭和天皇、「どちらがまともと思うか」と言えば、マッカーサーなのですが、今回の授業を受けて、気付いたことがあります。

 足利尊氏とマッカーサーは似ているのではないでしょうか。やったことが結果的に良い影響をもたらしたとしても、それは何のためにやったのか? なぜ、やったのか? という過程に、自分の利益のためからくるむじゅんが生じていれば、自ら起こした行動も、むなしいだけじゃないかと思ってしまいます。

 マッカーサーと昭和天皇の本当の会見録の資料を拝見できて良かったです。学校ではっ絶対、教えてもらえない貴重な資料だと思います。ありがとうございました。
                                                                (※中学生の方です)

*今回、初めて参加しました。昭和天皇の「全責任」発言が事実であるという根拠はないことが、2002年の公式会談記録で判明しました。ただ、マッカーサーと昭和天皇の発言内容が、場面場面で変化している理由は『状況証拠』だけでは判断できないのではないでしょうか?

 サンデル教授の「正義」の公開授業のように、天皇制などの、日本では触れてはならないと思われているけれども、大切な国民のテーマについても、公開講義できるような風土になっていくようにしていきたいです。

*国民の心の中では未だに「昭和天皇はマッカーサーに『自分はどうなってもいいから、国民を救ってくれ』と言ったのは本当ではないか?」とか、「天皇には実権がなかったのではないか?」というふうに思いこんでいるほど、繰り返し繰り返し、刷りこまれた「昭和天皇善人説」が浸透しているのだと痛感します。

 つまり、歴史というのは明らかな歴史事実と同時に、並行してウソの歴史事実も造られ存在していく、ということを増田先生の全講座を通じて確認しました。それこそが、私たちの学ぶ「歴史」の怖いところだと思います。

*天皇制の問題は一種の宗教のようなものではないかと思います。だから、真実、理屈はどうあれ、国体=天皇制護持が、現在まで全てに優先し続けているのだ、と思うようになりました。

 現在は主権在民であるはずなのに、未だにそれは建前にすぎないことを民衆(国民)が考えるようになるまでは、矛盾だらけの日本社会は変わりようがないと痛感します。
 というようなことを、この講座を通じてたくさん学べたことは本当に良かったと、感謝しています。今後も、これまで学んだことを元に勉強していきたいです。

*最終回まで、時々お休みしましたが、できるだけ参加させていただきました。増田先生、ありがとうございました。とっても有意義な講義で、企画してくださった皆様にもお礼申し上げます。できればタウン誌にでも載せて宣伝していただき、もっと大勢の方に聞いていただきたかったと思いました。

*増田先生には、長い間、小田原に通っていただき、ありがとうございました。

 現在が、歴史に流れの上に立っていること、決して過去と切り離すことはできないということを、つくづく感じます。

 歴史事実を、何十年も前に学校の教科書や受験勉強でしか学んでこなかった私にとって、増田先生の講義は「『歴史』って、おもしろいんだ!!」「覚える勉強じゃないなだ!!」と、軽い驚きからスタートしました。

 これからも時間をかけて、本を読んだりしながら学んでいこうと思います。そして、これからの様々な問題を自分なりに考え、自分なりの行動ができれば、と思っています。