7月25日、小田原近現代史講座・特別編「坂の上の雲」批判(2) 10/7/17 |
皆様 今年の12月5日から、またNHKでは司馬遼太郎の『坂の上の雲』をスペシャルドラマとして4回、放映するそうです。NHKのHPでみると「友情の物語」として展開するとか・・・ 原作では日清戦争は「韓国自身、どうにもならない。李王朝はすでに五百年もつづいており、その秩序は老化しきっているため、韓国自身の意思と力でみずからの運命をきりひらく能力は皆無といってよかった。」とし、日露戦争は「ロシアは日本を意識的に死へ追いつめていた。日本を窮鼠にした。死力をふるって猫を噛むしか手がなかったであろう。」「追いつめられた者が、生きる力のぎりぎりのものをふりしぼろうとした防衛戦であったこともまぎれもない。」などと、とんでもない歴史偽造がなされています。 さて、件名講座のご案内です。25日も、いろいろな集会イベントが計画されているようなので気が引けますが、小田原近辺でご都合のつく方はどうぞ、ご参加ください。 ●日時 7月25日(日)14:00〜16:00 ●場所 小田原市生涯学習センターけやき ●内容 今回は「日露戦争の史実」と『坂の上の雲』に描かれている「日露戦争の歴史偽造」を確認していきます! ●‘10年6月27日 小田原近現代史講座・特別編「『坂の上の雲』批判 1」の感想・意見 *「4年間も、この小説を書くために資料を研究してきた」という司馬さん・・・それなのに、どうして、日本側だけからではなく朝鮮側からも、つまり、両面から戦争を見る目を持たなかったのか? という疑問を感じる。集めた資料に偏りがあったのか? いろいろ考えてしまう・・・小説=作り話、として見ていたので、司馬が「100%事実」と書いていることに驚いている。多方面から見る目の大切さを感じる。 *もう一度、今日の資料をゆっくり読んで考えてみたいと思う。日本はなぜ、侵略戦争を繰り返したのか? なぜ、その方向に行ったのか? 「資源が無いから」と言っている方がいたが、ということは、その方向は、致し方なかったのか? 増田から 「私の家は金が無い」から「よその家の金を盗った。抵抗されたから殺した」ということを「繰り返した」、「ということは、その方向は、致し方なかったのか?」という疑問は、普通は持たないと思いますけど・・・ *日清戦争は朝鮮半島を舞台にして行われた、という歴史的事実を、もっと正確に把握していきたいと思いました。今後も、この、学習会にちゃんと参加していきたいと思います。 *『坂の上の雲』には登場しないけれども、日清・日露戦争にかかわる非常に大きな事件「閔妃暗殺」・・・角田房子さんが書かれた本を以前、読んでおりましたので、今日の学習に思い出しておりました。 *すばらしい授業を受けさせていただいてありがとうございました。 「坂の上の雲」は話題になりながら未読のままでした。 *今日も頭をフル回転させる授業でした。これまで読んできた司馬遼太郎の作品や知識量を考え合わせると『坂の上の雲』は、どうしても納得できない作品で、まだ複雑な思いが残ります。 *本・テレビなどで流される情報を受け取って、それをどう見るか? どう読み取るか? という視点をいかに持つかが、自分にとっては、まだ難しい問題だ、ということを改めて感じています。それは自分がどう生きるか、ということにもかかわる問題なのですね・・・ *幸い!? NHKの『坂の上の雲』は観ていません。しかし、これだけ歴史的事実と違っており、誤解を招くものになっているとすれば、このTVドラマが広く日本人大衆の心にしみてゆくのだろうなー・・・と、ますます憂鬱です。 *NHKドラマの『坂の上の雲』も見ず、原作も読まないまま、今日の授業に参加してしまいました。やはり、読んでから、この授業を受けたかったと思います。次回に間に合うかどうか分かりませんが、努力してみます。 *司馬遼太郎の文に始めて接しましたが、こんなにもひどい人だったのか、と開いた口が閉まらない状態でした。こんなものが2000万部も売れたのなどとは、よほど日本のヒトビトは「心を動か」されやすいのでしょうか。 感想も書きようがありませんが、家に帰ってから前に切り取っておいた池澤夏樹氏の新聞掲載文を読み直しました。読まれた方もおられることと思いますが、当を得た文章だと思います。私は彼の意見に全く同感ですので、引用させていただきます。 池澤夏樹“「坂の上の雲」勝利の快感と天才の誘惑”より(朝日新聞夕刊に月1回連載の「終わりと始まり」2010年1/9より) 「どうも日本人は人材論が好きらしい。それもリーダー論が好き。歴史もリーダーの視点から見る。成功した時期を選び、采配の天才を主人公に立てて、そこに自分を重ねてみる。結果は出ているのだから読んで気持ちのいい物語になる。日本の随所でリーダーの立場にいる、あるいはそれを目指す人たちがこぞって読む。たぶん、元気が出るのだろう。」 「もちろん司馬遼太郎は危険なリーダーのことも知っていた。昭和の日本の惨状を身をもって知っていた。彼はそれを例外的な事態と見て、『鬼胎』と呼んだ。天才たちに率いられた幕末・明治期こそは日本国本来の姿。」 「しかし、歴史とは天才ではなく無数の凡人たちがおろおろと紡いでゆくものだとぼくは思う。たとえ政治家や軍人、官僚、経営者たちが人一倍大きな権限を握っているにしても。」 「戦いというもの、その条件は一回ごとに異なるのだ。勝てたのは幸運、負けたのは失策のせいと考えた方がいい。 その実例が日本文学史にないわけではない。大岡昇平は敗残兵としての自分の体験を契機に、調べるかぎりを調べて精密細緻な『レイテ戦記』を書いた。『兵隊の立場と下級参謀の立場』から書いた、と作者は言っている。」 『レイテ戦記』はNHKがドラマにするような話ではないけれど、しかし、人を無責任な天才待望論に導きもしないだろう。 |