6月27日、小田原近現代史講座・特別編「坂の上の雲」批判(1) 10/6/24 |
27日もいろいろな集会が重なっていますが、小田原近辺でご都合のつく方は、どうぞ、下記講座にご参加ください! 中心資料 『1905年韓国保護条約と植民地支配責任』 康 成銀(創史社) 『沈黙のファイル 瀬島龍三とは何だったのか?』 共同通信社会部編(新潮文庫) 『人はどのようにして兵となるのか(上)』 彦坂 諦(罌粟書房) 『済州島 四・三事件 記憶と真実』(新幹社) *戦後日本は侵略と植民地支配の責任をとらず、そればかりか今でも正当化している今日。「沈黙のファイル」にあるように、それを賠償ビジネスとして利用し金もうけをする企業・・・そのためには手段を選ばない人たち、インドネシア賠償ビジネスに利用されていたデヴィさん・・・しかし、それらが今の日本の豊かな社会を作ってきたのだ、と思うと・・・何も言えません・・・ 亡き私の父がよく唄っていた歌は古関裕而の曲であったと、今日、彦坂さんの文章を読んで知りました。この歌は父の青春だったのだろう・・・考えると、胸が苦しくなります。 二番目には、こういう先達の言語に絶する苦闘の中で民主主義を原理とする日本国憲法・・・あまり、機能していない現実はありますけど・・・を手にすることができ、その下で、たくさんの方たちが支援してくれたことです。 あとは、子どものころ、父の母に対する家庭内暴力を目にする中で精神的にはひじょうに強く育った・・・そうでなければ生きていけなかった・・・という私の生育歴などもありますけど、なんといっても、上記二つがなければ、私も「強い方」!? にはなれず、挫けていたかも・・・ 今回、特に彦坂氏の書籍の中の論考が印象的でした。このような人間らしい感覚の持ち主を知ると嬉しくなります。紹介してくださって、ありがとうございました。 結局、日本(人)は、侵略戦争と植民地支配をしていた時代と根本のところは何も変わらず、現在に生きているのではないでしょうか? 彦坂さんの本にあったNHKの古関裕而さんを主役とした番組は、いったい、どんな人がプロデュースしたのでしょうか? 他国の人々に多大な犠牲を強いた日本の侵略戦争は人災であり、犯罪にほかなりません。そんな時代を「のっぺり」と追憶の中に埋葬してしまう、日本全体をおおう鈍感さは本当に怖いです。 来月の特別講座に期待しています。なお、今年は「大逆事件」の100年目にも当たります。これらも合わせて講義してもらえれば、幸いです。 また、「戦争責任、植民地支配責任を免れるために冷戦を逆利用し、成功した日本」というのも「政治的動き」というにせよ、人道的な考えが根本になければ最終的にはだれも幸せにはなれないのに、と思う。 彦坂諦氏の資料の中の「想像力の貧困、というより欠如それ自体が戦争『翼賛』のありようをものがたる・・・戦前も戦中も戦後も、もう、のっぺらぼうのひとつながりでしかない。」という文章が、今の行き詰まった日本の状況、原因を分かりやすく示していると思いました。 また、幕末に結んだ日米修好通商条約の「片務的な最恵国条款」というアメリカの属国のような形が、敗戦を経て日米安保を結び今日に至るまでつながっているのだということも考えさせられましたが、それを改善するには「のっぺらぼう」では、ハナから無理な話・・・国民が真実を知ろうとすることからしか始まらないと痛感します。 |