小田原近現代史講座「高度経済成長と世界」の感想・意見 10/4/25 |
25日は、沖縄県民大会と連帯する大集会などあり、気がひけて!? お知らせしなかったのですが・・・以前より決まっていたので、申し訳ありません・・・小田原近現代史講座もありました。以下は前回の感想です。皆様と(たぶん)同時代の方々の感想・意見をご紹介します。 *高度経済成長期は、まさに自分が育った時代なので、オリンピックや万博やオイルショックを含め、非常に時代の空気が良く分かりました。 ベトナム戦争時、各国で起こったベトナム反戦運動が、結果としてアメリカ社会全体を変えることができなかったことは、残念でなりません。学生運動終息後に育った私たちは、今後、どのように「バラの花の象徴・・・アメリカの州兵の銃に対し一輪のバラを持ったベトナム反戦運動の女学生の写真・・・「武力」対「花=人間的な価値の象徴」を社会問題解決の方に近づけていけばいいのか、試行錯誤の日々です。 日本の高度成長は他国の戦争がなければ成り立たなかったことに気づくと、戦争はいつまでも続くのだろうと思えます。表面は平和を願い、実生活は豊かさを求めて戦争する。人間の欲はどこまでも・・・アメリカ人、マイケル・ジャクソンの歌「平和への願い 人々の心に平和を!」を思い出しました。 先日、久しぶりに部屋の大掃除をしたところ、高校の日本史教科書を見つけたのですが、「昭和の敗戦後」のところは使用形跡がありませんでした。今、これから、何をすべきか分かりませんが、今に直接つながる過去を知るのが大切かもしれない、と思うようになりました。 水俣病について、チッソの細川病院長は「排水が原因と突き止めていた」という事実は知りませんでした。熊本大学の原田正純先生が突き止められたのだと思っていました。この細川病院長は、それを知ってもその後、口を閉ざしてしまったのでしょうか・・・ 今日の授業内容ということでなく、やはり、日本があまりアメリカにきちんとものが言えないのは、日本人が軍隊というものにあまりに拒否反応があり、自国の独立のためには自国の軍隊=自衛ということを、どのようにすべきか、きちんと話し合っていないからだと思います。 増田から その後、実験は許されたようですが、1962年に細川院長は工場付属病院を退職しました。実験結果を公にしたのは肺ガンのため東京がん研究病院に入院中に1970年7月の水俣病訴訟の臨床尋問を受けた時でした。たいへん、まじめな方だったようですが「職業上の守秘義務に縛られていた」ということだったのでしょうか・・・ 後段の主張ですが、「日本人が自衛や軍隊のことを、きちんと話し合っていない」ということ(私はこの主張は事実に反すると思いますが、この際は言いません)と、「日本があまりアメリカにきちんとものが言えない」こととの間には、「やはり」という接続詞で結ばれるような必然的関連はないと思いますけど・・・ それに、在日アメリカ軍は日本を防衛してくれるために存在しているのではなく、アメリカを防衛するために存在しているのです。特に米軍海兵隊など、「殴りこみ部隊」であって「防衛軍」ですらないですし・・・ 印象としては、このころのマスコミの方が、今よりはまだ良かったのかな? ということ・・・でも、当時だって、どこまで知りえたのか疑問ですが・・・マスコミは現在も「問題」を「問題だ」として捉える力が不足しているように見えます。その中で私たちが、どこまで真実を知ることが可能なのか? と疑問に思ってしまいます。 「自由な社会」になっているはずなのに、悪い意味で日本の社会は小さく縮こまっているような気がします。 しかし、それは朝鮮特需、ベトナム特需があって、たくさんの他国の人が死んでいることとつながっていたのです。このことが自分の豊かになった生活に関わりがあったとは捉えられていなかったことを恥じる思いです。 加藤周一さんの言われるように「バラの花(人間的価値の象徴)」の思いを客観化して社会問題にしていくためにはどうしたらよいのか? 「州兵の銃(力)」=そのあまりに大きく保守的な力の前で、いつも考えてしまいます。自民党、民主党等の保守政治に対し革新(?)政党のあまりに非力なのを見ても歯がゆいです。 歴史を手繰り寄せて一つ一つ見ていると、私たちが知らない所で、首領という方々、天皇と米国で密約していたことに驚きました。政治家だけでなく、私たちも含めて、10年後、100年後の先の先まで考えて判断していかないと、後世に負の遺産を伝授してしまう恐怖があるように思います。 今まで「なんで、日本政府はアメリカの言いなりになってばっかりいるのか?」全く分からなかったことも、わずかながら分かってきたような気がしました。 最後に沖縄の友人・・・本州から沖縄に嫁いだ方・・・いわく、「沖縄の年老いた方は、本州の方への不信感は強いです」・・・日々の暮らしの中で、報道されない多くの米軍の事故の影響は、ものすごいものがあるようです。 しかし、敗北感は私には全くありません。現在も私の意志は当時とほとんど変わりません・・・当時のような元気はありませんが、なお、私の闘いは継続しております。 |