明日、小田原近現代史講座「安保改定とベトナム戦争」 10/2/20 |
皆様 ●前回の「サンフランシスコ条約と安保条約」の感想意見の一部 * 「安保条約の締結には、昭和天皇の果たした役割が大きかった」という内容に驚きました。この現在まで続く安保条約については、いろいろな問題点があることを、改めて考えさせられました。 *敗戦後、朝鮮戦争のおかげで日本の経済復興がなされたこと、それがアジアの人たちの犠牲の上に成り立っているという歴史事実を、多くの日本人が知らないことは不幸なことだと思います。 今、先進国(?)といわれる国々の荒廃、格差拡大を見ると、弱肉強食のやり方は幸福をもたらさないと思います。もう、一国だけのことでなく地球規模で考えていかなければならない時代に来ている・・・そういうことを過去の歴史に学ばなければならないと、学習するたびに、いつも痛感します。 *今日、習った辺りの歴史は学校では名前だけしか習わなかったので、いろいろな情報が一度に入ってきて、びっくりし、少し混乱しました。天皇に関する問題や中国との関係など、今、話題のことに関係し、つながっているように感じたので、もう少し詳しく知りたいと思います。 *現在、問題になっている北方領土問題、竹島問題、沖縄米軍基地移設問題などについて考えるに当たっては、このような歴史の流れを勉強することが大切ですね。もっと多くの人に、このような歴史事実を学ぶチャンスが与えられると良いのに、と感じました。 *今日の授業資料の中で、憲法史学者の小関彰一氏の「歴史に『イフ』を持ち込んではいけないと言いますけれども、今日の時点から考えますと、もし仮に『沖縄は日本の領土であり、分断に反対だ』と日本政府が明確に主張していれば、その後の歴史はかなり変わった可能性がある」という言葉が、とても印象に残りました。 サンフランシスコ平和条約が日本の戦争責任を明確にするものではなく、アメリカ一国のその時点での利益に供する形で結ばれたことは、日本にとっても大きなマイナスになっていると思います。侵略戦争と植民地支配について、さまざまな点で何の責任も取らないままに現在に至っていることが、国際関係において、他国から日本への信頼を築きにくい一因になっていると思います。 *敗戦後、安保条約や沖縄について、吉田茂内閣の考えと昭和天皇の考えは異なっていたことが分かりました。昭和天皇が政治に口出ししていなければ、沖縄の状況は現在とは違っていたかもしれない、と思うと、何か腹が立ちました。 沖縄戦で、沖縄の人民は子どもまで含めてひどい被害を受け、大日本帝国に捨てられたのに、敗戦後は米軍に渡され米軍基地を残すという形で、また捨てられてしまったと思うと、本当に心が痛みます。 *初めての学びで、レベルの高い内容で、私には難しかったです。最近、NHKテレビドラマで『白州次郎』を観ました。今日の学びとダブルところがあり、ところどころ「あー・・・そういう意味だったのか」というところがありました。 「日本を救った蒋介石」と出てきて、どうして救ったことになるのか? と思っていましたが、今日の授業で蒋介石が「以特報怨」として日本に賠償を請求しなかった、ということだったのだ、ということを教わりました。こんな気高い考えが持てたなんて本当に尊敬に値します。 しかし、日本政府は昔から、必要なことを対手国に強く言えなかったのですね・・・現在の政府も言えてないような気がします。白州次郎のように「ノー」と言える強い心の指導者が少なかったですね。強く賢いリーダーが日本に現れることは難しいのでしょうか。 最近、「わが身をつねって、人の痛さを知れ」という言葉が死語になっているようですが、野田正彰先生が紹介された「陳真」という15歳の中国の少女が、日本敗戦時に「中国に負けたんじゃない」という心無い日本人に対して抗議した言葉が、とても印象に残りました。日本の教育には「人の心の痛みの分かる人に育てる」という教育が必要だと思います。 先生のお声がとてもきれいでステキでした。ありがとうございます。 増田より 滅多にないのですけど(笑)、私の声をほめていただき、ありがとうございます! 「強く賢いリーダーが・・・」についてですが、「その国の国民のレベルの政治家しか持てない」という言葉があります・・・ *吉田茂首相と昭和天皇の関係・・・昭和天皇は吉田が「基地を貸したくない」と国会で言ったことが気に入らず、吉田を飛び越えて外交をした・・・とは意外でした。 いろいろな力関係が働くのでなく、天皇個人の意向で、こんなふうに国が左右される時期だったんですね。 増田より 「いろいろな力関係が働く」中で、昭和「天皇個人の意向」と、アメリカ政府の一部の幹部との意向・利害が一致したので、あんなふうに「国が左右され」、それが現在にまで立ち至っているのだと思います。 さきほどの小関彰一氏の「歴史の『イフ』」を思い出すと、もし、昭和天皇が日本国憲法を守ることを実行し、主権者国民の代表の首相を飛び越えて違憲の外交交渉をしていなかったら・・・本当に日本はどうなっていたのでしょうか・・・ *安保条約にまで、昭和天皇は自分のことのみを考え、国民のことを考えていなかったこと、吉田茂氏は初めアメリカに対して「基地を貸したくない=日本を守ること」を考えていたこと・・・こういうことを知りませんでした。もし、これが通っていたら、日本は今の状態になっていなかったのでは? 憲法違反を行った昭和天皇に腹が立つ! 朝鮮戦争で日本は経済が豊かになり、ベトナム戦争でも豊かになった国・・・少し恥ずかしい気がします。「中国人の少女から見た敗戦直後の日本人」・・・日本人は考える必要がありますね。 *歴史に対する無知を恥じるばかりです。日本がアメリカに追従しなくてすむようになるには、どうしたらいいのでしょう? しかし、この体制に慣れきった国民は、もう、そんな意志はないのでしょうか? 天皇・皇室を、どう考えていけないいのでしょう? 莫大な税金を使う皇室の存在意義について考える機会があるとうれしいです。 *現在、話題になっている普天間、辺野古等々の基地問題は、今日の講義の日米安保条約に起因している。また、歴史学者の豊下楢彦さんの本にあった昭和天皇とマッカーサー&リッジウェイ等の会見の問題等が明らかにされて、非常に勉強になりました。 |