第14回小田原近現代史講座のお知らせと第13回の感想 09/11/21 |
皆様 件名講座を以下の内容で行います。この日も、いろいろな催しが計画されているようですが、ご都合のつく方は、どうぞ、ご参加ください! 日時: 22日(日)14:00〜16:00 場所: 小田原けやき(市役所となり) テーマ:「東京裁判と日本国憲法」 先ず、戦争に向かう日本と、それへの抵抗がいかに押し潰されていったかの復習として映画「武器なき闘い」を見ます。これは、性科学者の山本宣治が産児制限運動から政治家の道に進み、治安維持法の改悪に一人反対して、テロに倒れた生涯を描いたものです。時間の関係で一部しか見られませんが、関東大震災に始まる当時の記録映画をはさんだ映像は「帝国日本」の実相を「百聞は一見に如かず」で、よく見せてくれると思います。 それから、敗戦後の昭和天皇とマッカーサーの会見等、当時の日米支配層がいかに天皇の戦争責任を隠蔽していったか、それは日本国憲法の成立とどのように関わったか、を資料を見ながら考えます。 以下、前回の「大日本帝国の敗北」の授業の感想の一部をご紹介しておきます。 <第13回 小田原近現代史講座「大日本帝国の敗北」から> 国民の支持のない戦争なら、もっと早く終戦、もしくは日中戦争はともかく、対米太平洋戦争まで進まずにすむことができたのかもしれない・・・ A昭和20(1945)年8月15日、私はラバウル飛行場大隊に籍をおき、台湾誠第一戦隊におりました。ですから、この3年間の日本内地のことは私には分かりませんでした。 B昭和天皇は終戦を決意するのには時間がかかったのに、開戦決意にはそれほどには時間をかけていない。決断力があるのか、ないのか? 「人の上にいる人(神)にあらず!」と言いたい。「死去の昭和64(1989)年まで自分の戦争責任は感じていたのであろうか?」「悪夢は見なかったのだろうか?」と聞いてみたくなる。 国民は、もっと情報を知り、何がおきているのか? を知る努力をする必要があると強く感じる。今の時代にも言えること・・・戦争だけでなく、私たちの暮らしの中のことなのだから・・・ C私は敗戦時、女学校一年でした。当時、私の父は毎日新聞の政治部長をしていたと思います。東条首相の終わりのころ、“竹槍ではもう勝てない”という記事を書いた新名丈夫さんという方が、陸軍からにらまれ、たいへんな思いをしたようです。 D戦争責任については、天皇・軍部・政治家に一番重い責任があると思う。また、戦争をあおり協力したマスコミや学校の教師の責任も否定できない。 でも、同時に国民は侵略した国々に対しては決して責任がないとはいえない。日本国民としては、戦後生まれの私たちでさえ、戦争責任を負っていることになると思う。せめても、できることは、日本の歴史をきちんと知り、諸外国の人々と接していくことだと思う。 E「戦争責任」・・・これを曖昧にすることは、その時の人たちだけではなく、後々まで悪影響を及ぼすのだと思っています。日本ではそれを曖昧にしてきた結果が、国民性、国を背負っていく若い人たちの考え方に現れているのだと痛感しています。 現在があるのは、過去の歴史の流れがあってのことですから・・・過去の歴史を知ることが未来を考える基礎になることですし・・・でも、こうなったのはマスコミの責任も大きいと思う。 F戦争責任については、国のリーダーであった天皇に、もちろん、一番責任があると思います。と動じに、世界情勢がわかっていた人たちにも大いに責任があります。軍部の上層部とマスコミの人たちです。 いつの時代も、正しいことを言う人はうとまれる傾向がありますが、これを「おかしい!」という勇気をすべての人が持てば、世の中は良くなると思います。 ドイツの場合は、ナチスの戦争について深く反省し、まわりの国にも十分に謝り賠償したと言われています。現在、ドイツ軍はアフガンなどいろいろなところに派兵されていますが、ドイツ国民はこれについて、どう思っているのでしょう? 日本では軍隊への拒否反応が強いのに・・・ G今回、初めて参加しました。原爆記録映画「予言」の映像の中には初めて見る映像もあり、衝撃を受けました。 戦争責任については、「誰」と明確には答えられませんが、昭和天皇には確かに責任があると思います。「ただ、三種の神器を何よりも大切にする」など、今日の我々からすると信じられない感覚ですが、昭和天皇の幼少期に受けた教育の影響も大きいと思います。 歴史をさかのぼって勉強していくと、明治時代からの法律や外国との関係など、戦争の原因はいろいろなところにあるのではないでしょうか? H情報を知らされていない国民は、あの戦争の時代、どうすることもできなかったと思う。だから、現代の私たちは、自分の意思で意見を言える社会を自分たちの手で作っていかなければならないと思う。 当時の教育の恐ろしさ・・・「国のため」「神風が吹く」「神国日本は絶対に負けない」・・・を強く感じる。 I各々が別々の責任・要素を持って戦争を続行できたのだと思いますが、やはり、上層部の責任は思いと思います。しかも、天皇を「統治権の総覧者にして大元帥=最高責任者」とした大日本帝国のシステムを考えた時、やはり、天皇の戦争責任はまぬがれないと思います。 昭和天皇が国体(天皇制)護持に固執したために終戦が遅れたことは、知識として持っていましたが、今日の授業で、それが資料によって克明に検証され、改めて思い知らされました。最高権力を持ち、最高責任者という自覚を持っているなら、当然、政策の結果「責任」は取るべきです。 戦後、まるで「昭和天皇は平和主義者だった。軍部に利用されただけだった。」というようなキャンペーンが繰り広げられ、「昭和天皇は常に国民のことを思いやる、良き統治者だった」というイメージで、まだまだ国民はだまされ続けているのだと思います。 J一番の戦争責任は、昭和天皇・軍部・政治家にあると思いますが、「だまされていた」とはいえ、教育関係者による教育? 真実を伝えるべきマスコミの、真実とはかけ離れた報道、・・・国民は犠牲者でもありますが、でも、考える力、真実を読み取る力のある人々はいたと思われます。 思っていること、考えていることを表現するのは難しい時代ではありましたが・・・当時の日本の全ての人々に責任はあったと思われます。 |