「反省と和解の道は?」感想&小田原近現代史講座のお知らせ 09/3/25

 以下、2月末の授業の感想・意見です。20人くらい参加があり「後で感想・意見をメールします」といわれる方もいらっしゃったので待っていたのですが、やっぱり大人の方はご多忙のようで全くメールが届かなかったものですから、授業直後に書かれた6人の方のものだけご紹介します。

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09・2・28 我孫子市民活動フェスタ
「朝鮮半島の人々との真の和解の道は?」の授業を受けて

@資料にあったノ・ムヒョン大統領05年3・1演説を読んで思いました。
国際的な尺度から見ても、旧西ドイツでの「過去を深く反省し、真の友好のために努力した」結果による被害国からの評価と、それと全て対照的な日本のありようは本当に情けない国だと思います。

 国民の精神的レベルも低いと思われ、恥ずかしく、自分の国ながら本当に嫌いです。日本人であることが恥ずかしい。日本人は、他の国のように自分たちで革命を起こすことのできない民衆なのでしょうか?

A日本と朝鮮半島の国との不幸な関係の本質の一端を教えていただけたことに感謝します。日本が国として、過去の侵略と植民地支配、15年戦争を反省しないことがさまざまな現代の問題・・・拉致問題、慰安婦問題、竹島問題、等々を解決できない要因になっていると思います。

 ノ・ムヒョン大統領3・1演説の中の「ドイツはそうしました・・・」という言葉を、日本人は真剣に受け止めるべきです。

 遅刻してしまい、後半3分の1しか聞くことができず、残念でした。でも、扉に張ってあった「出入り自由です」の表示が親切だったので、途中入場の勇気(?)が出て良かったです。この授業にお誘いくださったTさん、ありがとうございました。

B近代朝鮮史、知らないことばかりでしたが、良く分かりました。初参加でしたが、参加して良かったです。

C「近くて遠い国」が「近くて近い国」になるかと思っていたのですが、また「遠い国」にしてしまう動きが、日本国内には多いです。歴史の真実に目をふさぐことからは本当の友好は生まれないと思います。戦後64年になる今年、戦争の事実を証言できる人がいなくなってきていますし、政権を握っている人々は、証言者の証言の消そうとしているとしか思えません。

 今こそ次の世代に真の歴史を伝えなければ、また「いつか来た道」たどることになると危惧されます。日本人がいかに歴史を知らないか・・・他国の若者と比して・・も恥ずかしいところです。

Dノ・ムヒョン大統領は3・1演説の中で「両国関係の発展には日本政府と国民の真摯な努力が必要です。過去の真実を糾明し、真心を持って謝罪して、賠償することがあれば賠償し、そして和解しなければなりません。」と言っています。私は、これを実行することが「過去史清算の普遍的な方式」なのだ、という認識を教えられました。

 日本はアイヌ民族の方々もおられますが、人口比ではほぼ「単一民族」で島国のため、「井の中の蛙」になりがちです。そこが、私たち日本民族の陥りやすい意識の陥穽であると思います。私をはじめ、日本人はその陥穽に留意し、アジアの問題、日本とアジアの関係を考え、交際をつないでいきたいと思います。

 今後は日本人の暮らしも貧窮に向かっていくような気がしますが、その解決策として、再び朝鮮やアジアの人々からの収奪や犠牲を強いることの内容に留意すべきだと思います。「人権・平等」は、経済活動においても、アジアの人々の労働に反映されるよう、経済界の人たちにお願いしたいです。

 私は1955年生まれで、小学校の同級生に朝鮮の友達が5〜6人、クラスにいました。彼らは頭脳優秀、強い体力、激しい気質の持ち主で、私の初恋の男の子たちでした。なぜ、朝鮮の人たちへの差別意識を日本人が持ち続けるのか、私には分かりかねて今日まできました。

E授業を聞きながら、子どものころのことを思い出しました。小学校4年のとき、放課後、クラスのイトウさんが遊んでいました。そこに下級生の男の子たちが数人が寄ってきて、イトウさんに石を投げました。何が起こったのか、私はもうビックリ・・・理由が分からず、でも悪いことなので、「コラッ! 何するの?・・・」と男の子たちを追いかけました。

 後で分かったことですが、彼女は朝鮮人だと、誰かから教えられました。そんなことでと、私はとても憤激しました。まだ歴史を把握できていない年齢でしたが・・・

 実は、私の旧姓は苗字に「金」の字が入っています。いつか、母が私のクラスの誰かのお母さんに「あの人、ああいう苗字だから、朝鮮人じゃない?」と、間接的にいわれたことを知ったそうです。母は侮辱されたといって顔を真っ赤にして怒っていました。母を私は大好きでしたが、そういう怒り方をする母を恥ずかしく感じたものです。そのころの日本人の中では、普通にあった意識だったようですが・・・

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第6回小田原近現代史講座
●3月29日(日)午後2時〜5時(小田原けやき)
●「第一次世界大戦と日本」